『ブラフマンの埋葬』
この本を買いたい!
■幼い頃、日常に感じていた「死」の匂い。切ないけれど、どこか懐かしい記憶を呼び覚ます
『博士の愛した数式』で支持層をぐっと広げ、いまもっとも注目すべき作家の一人である小川洋子の最新作。書店員が選ぶ「本屋大賞」を受賞しただけあって、手触りがよく、しかも深い余韻を残す佳品である。
ストーリーは・・・
芸術家だけに開かれた別荘「創作者の家」で住み込みの管理人をする「僕」は、夏のはじめの日、傷つき迷い込んだ小動物を「ブラフマン」と名づける。「僕」と無垢な小動物との暮らしが始まった。芸術家と触れ合ったり、恋人がいるらしい雑貨屋の娘に運転を教えたり、ブラフマンと「泉泥棒」を捕まえたり、「僕」の日常は淡々と過ぎていくが・・・。
タイトルからわかるように、「ブラフマン」という小動物は、死によって「僕」と引き裂かれる。そのことを初手から表明していることで、この物語は、単なる「号泣」系物語と明らかに一線を画しているように思える。
別離を知っているから、読んでいる間、淡々と描写されるブラフマンの動作ひとつひとつが、ほんとうに哀しいほど愛らしい。そして、胸がキュっと痛くなるような感情は、どこか懐かしくもあるのである。
そう、幼い頃、縁日で手に入れたヒヨコを掌に載せ、その体温を感じた、そのとき、感じた言葉にならない思いに似ている。
幼くて意識していなかったけれど、あの時の自分は、もしかすると、この命が自分の命よりおそらく確実に早く、どこか遠くへ連れ去られていくのを知っていたのではないだろうか。
もしかすると、人は、子どもの頃の方が今よりはるかにリアルに、日常の中で「死」あるいは「死」の匂い、手触りとでもいうべきものを知覚しえているのかもしれない。知覚しえたものを概念として統合する術や、表現する言葉を持たなかっただけなのかもしれない。
本作を読みながら、ふとそんなことを考えさせられた。
そして、そんなことを思いながら、本作を読んでいると、舞台となっている村のある特殊性にも気づかされる。それは・・・