■最愛の人の死。しかし、彼の存在は、消えない。「永遠の愛」というものがあるとすれば・・・
この小説にある「愛」の凄みは、謙介の死、すなわち、肉体の消滅が二人を隔ててからである。
ある時は、乱暴に、ある時は優しく、笙子の肉に触れたその手は、その身体は、もうどこにもない。不在、空白・・・しかし、彼女は、謙介の肉体がすぐ近くにあった時以上に、全身で、その存在、生命を生々しく感じ続けるのだ。
――彼はあの通りの姿で、男っぽくにやっとしたり、皮肉な口調で笙子をからかたり、ふたしたとき、いま、そのままそこにいる。肉体の上に彼の捺した触手も、時にまざまざと蘇る。「いなくなっていない、謙介さん、いるんじゃない」――
いるのに、見えない。感じるのに、触れることのできない・・・この二つの認識の間で笙子は、揺れ、戸惑う。
幾人たちかの男との出逢いと求愛によって、その揺れや、戸惑いは、さらに深く、大きくなる。謙介のパートナーであった井崎、画家の瓜生、CGアーティストに転進した横山・・・。彼らと真摯に向き合えば向き合うほど、謙介を感じつづける笙子。
そして、彼と、真の意味で「出逢う」ために生きていこうとする彼女。その生き様は、真剣で力強く、しかも、しなやかだ。
「永遠の愛」「究極の愛」というものがもしあるなら、ここに描かれた愛の形は、限りなくそれに近いだろうと思う。少なくとも、ここには、愛を感じつづけ、信じつづけた一人の女性の輝きに満ちた生の形がある。
年代、性別問わず、一人でも多くの人に読んでいただきたい一冊である。
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