そう、9・11同時多発テロ事件である。
ちなみに、本作が出版されたのは、1997年。多くの人々が、文学者の幻視力を話題にするだろうが、著者を「予言者」扱いすることは、作品そのもののイメージを固定化してしまうことになりかねないとも思う。だが・・・
「あの日、あの瞬間、あなたはどこで何をしていた?」
9月11日、ニューヨークで、アメリカで、世界各地で、そんな言葉が交わされあうであろう。
本書の中で、何人かの登場人物たちが、1951年のあの試合でボールがスタンドに飛び込んだあの瞬間について、さまざまな場所で語っているように。
1951年から2001年。「良きアメリカ人」たちの熱狂を飲み込んだホームランボールから、大量消費文明の頂点に君臨したアメリカの象徴がガレキに化した瞬間へ。ニューヨークからアメリカ、世界へ。
海を隔てた国であの瞬間をテレビやネットを凝視していた自分自身を思い起こしながら、本作を読むとき、やはり、その凄みをつくづく感じずにはいられない。
本作を、「○○な作品」などと一言で言うことは、できそうにもない。恥ずかしながら、「大作」「問題作」そんな言葉しか思いつかない。ただ、一つ確実にいえるのは、著者が、市井の様々な人々に照射して、アメリカの、いや、世界の20世紀後半という時代を描こうとしたことである(その意味では、テイストはまるで違うが、高村薫の『晴子情歌』が同じ試みのもとに著された作品と言えるのかもしれない)。
とにかく、これほどの壮大なビジョンを「物語」として完成しえる書き手に出会えること。その作品を日本語で読めること。それが、いかに、幸運なことか。ひたすらにそう感じる。
★あえて、アラ、捜します!
アラ、なんて偉そうなこと言えるわけもないんですが、一言。けっして、読みやすい一冊ではありません。量的にも内容的にも。かなり時間、かかりました。
この本を買いたい!
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