『シルミド』への思いを語るカン・ウソク(康祐碩)監督
会見当日、帝国ホテルに着くと予定されていた桜の間から孔雀の間に変更されており(=より広い宴会場)、注目度の高さをあらためて認識しました。演技派、実力派と称される韓国の俳優たちは、あまりお愛想笑いというものをなさらない硬派な方々。そのあたりも映画のイメージのままで、カッコいいのでした。1ページ目の写真は、唯一4人の笑顔が揃った時の写真です。
実は、日本の公開は2004年秋を予定されていたという。その辺りの公開が決まるまでの紆余曲折をザックリ書くと、カン・ウソク監督自身がフィルムを持って来日し日本の映画関係者に見せたのが昨年の12月中旬。それで「素晴らしい作品がある」(=アミューズ)と東映へ。でも劇場の空きを確認したが秋までいっぱい。ところが鶴の一声(=東映の社長)「すぐにでも劇場を!」&カン・ウソク監督(=韓国映画界のスピルバーグと呼ばれる人物)から「なぜこの作品を眠らせておくのか?」という強力なプッシュもあったという。ご存知のように今、韓国ではこの『シルミド/SILMIDO』と『ブラザーフッド』(原題:『太極旗を翻して』)と2作のモンスター映画(観客動員1000万人以上)が誕生している。その双方が6月に日本公開!となった。この会見でも双方の大ヒットを願っています。と語られた。
●カン・ウソク(康祐碩)監督「これまで製作した映画を輸出するための来日は、何度もありますが自らが監督した作品というのを紹介したことは、初めてです。個人的に一番、感じているのは韓国の歴史において一番痛い部分に焦点を当てたということです。もちろん今までも雑誌・新聞など報道されましたが、普通は読まれても「そんなことがあったんだ」程度にしかならないものを、映画にすることで社会的に大きな反響が起こりました。」
そういった題材を製作するに当たっての気持ちを「映画の製作中に重荷に感じていたのは、この事件によって多くの犠牲者が出たということ、また九死に一生を得た生存者のかたがいらっしゃることから、生半可な気持ちでは作れないと感じてました。」と述べ、完成後の思いも「できあがった作品をご覧になった関係者の方々が観客以上に涙を流してくれたこと、それに「本当にありがとうございました。これで死んでも悔いは、ありません。先に亡くなった方に対して非常に慰めになります」とおっしゃていただけたことは、とても嬉しかったことです。」と語られたのです。
「日本の映画も韓国で上映されています。この『シルミド/SILMIDO』をご覧頂き、日本の映画制作者の方々に韓国市場をめざしていただくといった新しい風が吹いてくれること、両国の映画界が相互によい刺激をうけ、映画産業の発展を願っております。」と両国の映画産業に対する思いを口にした。
そして『シルミド/SILMIDO』では、684部隊の第3班長を演じている。役作りのためには体重をコントロールする事でも有名。今回もずいぶん絞り込んでいることが会見の写真でもご覧いただけるでしょう。韓国映画界きっての演技派、若きカリスマ、またカメレオン俳優という異名もあるほどの■ソル・ギョング(薜景求)氏。2001年にNHK総合で放映した本木雅弘さん主演の「聖徳太子」で新羅武人「伊真」を演じている。
「『オアシス』(現在、日本公開中)の撮影中にカン・ウソク監督から「1年間一緒に撮らないか?」と電話でお誘いを受けました。でも題材を聞いていませんでいた。その後、"シルミド"だということを知りました。もしも最初に"シルミド"だと聞いていたら引き受けなかっただろうと思います。非常に大変ですし、実話だということから自分にできるのか?と、後悔しました。」
「3~4ヶ月間、訓練兵が集まり訓練を受けましてその間、多くの方がケガをしました。私も足を捻挫したりケガは耐えませんでした。訓練の後で、シルミドという実際の島で撮影をしたのですが船がなければどこにも行けず閉じ込められた感じがしました。出演者一同の絆が深まりお互い助け合い撮影を終えることが出来ました。」
劇中のソル・ギョング氏「実は、水は飲む以外は苦手でして…シルミドは、撮影場所=目の前が水だというのは嫌でした。ニュージーランドの撮影は、1800メートルの高地で爆破するシーンは雪のように見えますが、実際は万年雪で、つまり氷ですので足が凍傷し苦労しました。」
「真心を持って撮影に挑みました。その点に関して努力したことを自負しております。 言葉は違っても感情というものは同じだと思っています。ですので私たちが撮影中に感じた真実、心の痛み、哀悼、怒りや憤り(いきどおり)を日本の観客の皆様にも同じように感じていただきたいと思います。」
「ドーゾ、ヨロシクオネガイシマス(日本語)」