ニューヨークの大学で文学講師として働く女性フラニー(メグ・ライアン)。人と適度な距離を保ち、決して心の中まで踏み込ませないフラニーにとって、自分と世界を繋ぐものは「言葉」だ。"ブロッコリって?"-"陰毛とかマリファナのスラングよ"。"ヴァージニア"?"MEOW"?…"スラングは性的か暴力的"。郊外にあるフラニーの部屋には、彼女が集めたスラングや詩の断片があちこちにスクラップされている。
そんな彼女が唯一、心を許すのが腹違いの妹ポーリーン(ジェニファー・ジェーソン・リー)。感情的で、結構願望の強いポーリーンは、一見フラニーと対極の正確をしているが、また彼女も上手く人を愛することができないでいる。
ある日、フラニーの家の近隣で猟奇的な殺人事件が起きる。犯人らしき人物をフラニーが偶然目撃したことから、刑事マロイ(マーク・ラファロ)が彼女のもとを聞き込み調査に訪れる。しかし、フラニーの記憶に残っていたのは犯人の顔ではなく、その手首に彫られたタトゥーだけだった。
その事件をきっかけに、フラニーの静かだった生活に変化が訪れる。刑事マロイとの危うい関係、難航する捜査なか起きる新たな事件、妹の存在、そして
▼南の試写コメ女性の性(さが)というものをサスペンスの要素に絡めた話でジェーン・カンピオン監督らしい映画でもあり、らしからぬ映画でもある。効果的に流れる♪「ケ・セラ・セラ」、カラーとセピアの色使い、花吹雪、アイススケート、赤い線・糸、切断、連続殺人、毒牙、詩…とこの先の物語を語るよう。フラニーは、賢くて、男性にとって難しい女、その会話は→[「許して」「なぜ謝る?」「そう思わせてしまったこと」「・・・」と「君は難しい」と。]メグ・ライアン、よく頑張ったと思う…ご存知かと思うが全裸シーンがある。それは芸術的な感じで美しく撮ろう・撮られようというより、妙に"現実的"でなまめかしい感じ、決断させたのは監督と脚本(原作)の力。それとメグ・ライアンの演技に対する考え「正しく演じるよりも魂のある演技をしよう!理屈でなく、ひらめきを信じて…」の言葉通りで、これまでとは少し違う自分に正直な女性を演じている。
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