テクノポップ/アーティストインタヴュー

名古屋のテクノポップ(2ページ目)

名古屋テクノポップミーティングを主催するホンダトロンさんを迎えて、名古屋における80年代シーンから現在までテクノポップ談義をしました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

ライディーン


ガイド:
30代ということは、80年代テクノポップはリアルタイムで聴くには、幼すぎますよね。いつ頃から聴き始めたのですか?

ホンダトロン:
最初に耳に入ってきたのはTVや学校だと思います。小学校の6年間、YMOの「ライディーン」が毎朝校庭でかかっていました。また、昼休みには「コンピューターおばあちゃん」がよくかかっていたと思います。自分から聴き始めたのは中学生の時だったと思います。

ガイド:
小学生時代に潜在意識に埋め込まれていたパターンですね。
ホンダさんにとって影響の大きかったテクノポップ系アーティストは誰だったのでしょう?

ホンダトロン:
YMO、TELEX、Kraftwerk、Plastics、テストパターンです。

名古屋の80年代


ガイド:
テストパターンというのが渋いです。
80年代、テクノポップ~ニューウェイヴというと、どうしても東京に集中していましたが、それ以外の地域でもシーンはあったようですね。京都、大阪、札幌など。でも、名古屋というと・・・意外と思い浮かびませんね。THE STAR CLUBは名古屋出身ですが、パンクですしね。他にありましたかね?

ホンダトロン:
80年代は三重県の小中学生だったので名古屋のテクノポップ~ニューウェイヴはよく分からないのですが、ぶどう÷グレープのながいグレープさんにきいたところ・・・

『名古屋のPUNK、NWシーンは大須の老舗ライヴハウス、ELLから始まったといえます。
あと、当時、東京ロッカーズ関係、ヒカシュー、P-MODEL、INU、じゃがたら、ルースターズなどのめんたいロック系・・・などを名古屋に呼んでいたイベンター、ピーレイズミュージックもシーンに大きな影響を与えました。

NW、テクノポップに限っていえば、まず幕開けを飾るのが「ピヴィレヌ」。P-MODELなどと同時期の活動なれど、ファーストアルバムが自主製作盤だったため、地元に熱狂的ファンを持つも大きく外に出て行く事はありませんでした。彼ら唯一、しかも500枚しか存在しないこのアルバムは楽曲のクオリティーも高く、すばらしいPOPアルバムです。有頂天のケラはこのアルバムを手に入れた時、泣いて喜びました。

NWという感じではありませんが名古屋のロックを語る上で「なぞなぞ商会」も無視できないです。演劇的なパフォーマンスと高い演奏力で常にライヴハウスを満員にしていました。後の米米クラブなどにかなり「なぞ商」の香りを感じました。
「ピヴィレヌ」「なぞなぞ商会」などに続くピリッとしたポップバンドには・・・

「ショッカーズ」(ぶどう÷グレープのながい、後にブランキージェットシティで活躍する中村達也が在籍)
「HOY POY」(東京中低域の水谷紹が在籍)
「TRIPS」(リーダーの関は現在、なぞ商のVoだった遠藤豆千代と共に豆異℃で活動)
などがおり、25年以上が経った今も名古屋流POPの感性は脈々と生き続けているといえる。』

とのことです。ピヴィレヌのアルバムは僕も聴いたことがあるのですが、素晴らしいです。
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