DRIVE TO 2000
ガイド:amazon.co.jpにあるCDは、ジャケ写からリンクできます。(amazon.co.jpにない場合、海外のamazonや他の通販サイトへ)
DRIVE from 2000 |
タムラ:
イベントと前後してオーガナイザーだったサエキけんぞうさんと親しくさせて頂いてて、(当時の)現在進行形で活動してるバンドを色々紹介して欲しい、と言われて知り合いのバンドに声をかけたり、ライブ自体もサエキけんぞうさんと競演したりして非常に楽しかったのを覚えてます。ただ楽しかっただけでなく、もう何から何まで無茶苦茶な一週間でした。
シノダ:
高校時代のアイドル・鈴木さえ子さんに逢えて、鈴木慶一さんと楽屋もいっしょという音楽やっててよかったイベントでした。しかし、いいイベントだったと気づいたのはやはりずいぶん後で、当時はいっぱいいっぱいでした。
イガラシ:
ライブとしては、ベスト3に入る一夜だったと思います。そして、友人のバンドや、伝説的な方々と競演できたのはいい経験でした。ただし、こういう趣旨のイベントは若手のバンドが主催してこそ、だったのではないかという思いが今でもあります。個人的には、この数ヶ月前に元フィルムスの赤城さんとスウェーデン大使館でお会いする偶然があり、このイベントに出演される橋渡しが出来たことをとても幸運に思っています。
突如、解散!
ガイド:しかし!記録によると2000年7月15日にはDEADCOPYは、解散ライヴをしてしまうのですね。ずばり、その理由は?
イガラシ:
機材達は人間に冷静さを求めますが、人間はそう冷静ではいられません。やりたいことをやっているはずなのに、そのことが自分をすり減らしていくような不思議な感覚になっていました。そして、いつの間にか、機材や活動からの「無意識の逆襲」に私はひどいストレスを感じていました。シークエンスをアイデンティティにしていたバンドは、人間の側の変容でその終わりの時期がきます。それは80年代の歴史が証明しており、例外はクラフトワークだけだと思います。
シノダ:
ぼくとしてはようやく音楽やバンドやライブとの距離がつかめてきた矢先だったので残念でした。個人的にいつも考え方や行動がスローペースなので、メンバーの悩みを共有できなかったのは申し訳なかったなと思ってます。ただ、もうちょっとだけやってたらもっと面白い事もあったのかな、という色気はありましたね。逃した魚は多分大きい!
解散後の活動
ガイド:解散後、メンバーに皆さんがどのような活動をされていたんですか? 最近なんですが、航空電子のライヴでDEADCOPYの代表曲とも言える「メカパンダ」
を聴いて、驚いていたんです。最初はどっかで聴いた曲だなぁ~と。タムラさんは航空電子にも参加されていたんですね。
タムラ:
はい。先にお話したDRIVE TO 2000で航空電子のタバタ君と知り合いになりまして、彼が「今度こういうバンドを始めたんだけど、メカパンダカバーするからゲストで出てくれない?」って誘われたんです。最初は一回きりって事だったんですが、当時の航空電子は全員浜松に住んでいてそれでいて都内や首都圏でライブをしたいという野望を持っていたので、自分が少しでも力添え出来たら、と思い参加をする事になりました。
イガラシ:
私は数年間遊んでいましたが、フォーチュンメガネのエリちゃんに誘ってもらって、HOCKというバンドを組みました。彼女にあんまり熱烈に誘ってもらったので、「ライブを決めてきたら曲を書いてもいいよ」と体よく断ったつもりでしたが、彼女は本当に決めてきたので、楽曲を一ヶ月で書き上げた記憶があります。
シノダ:
解散後すぐにタムラに呼ばれてQ熱(キューネツ)というバンドを結成しました。こちらは打ち込みなし・トロンボーンがいたりするポップスバンドで、プロレス的なストーリー展開や格闘を織り交ぜたライブをしていました。現在はタムラが脱退したのでキーボードをいれて、主に録音とアルバム制作を中心に据えたオンガクな活動をしています。
また、4年間ほどサード・クラスというバンドにベースとして在籍しておりました。バイオリン・キーボードのいる風変わりなポップスバンドなんですが、TOMOVSKY(ex.カステラ)、ワタナベイビー(ホフディラン)、知久寿焼(ex.たま)、YO-KING(真心ブラザース)、竹中直人などの方々のバックバンドとしても活動し、ツアーで全国まわったりして、ライブ三昧でしたね。ちなみに航空電子ではDEADCOPYからの縁で、アルバムジャケットのデザインなどをやらせてもらってます。