野宮真貴とのコラボ

Party People
さて、FUTONは日本のセレブとも交流を深めています。日本では、レーベルメイトとなったピチカート・ファイヴ解散後としては野宮真貴のサード・アルバム『Party People』(2005年)にも関わっています。m-flo、Dimitri from Parisから赤城忠治、菊地成孔、そして元クラフトワークのWolfgang Flurまでの豪華絢爛ゲストにFUTONも混じって、エレクトロディスコ大会。ピチカート前の『ピンクの心』は別格として、これまでのソロの中で彼女の魅力が一番出ています。

Futonとの関わりは、Gene君がタイ語で歌っているFutonとしてはメロウな曲「High」を野宮さんが日本語、タイ語、英語でカヴァーをしています。プロデュースはFuton、バックヴォーカルはGene君とMomokoちゃん、そして菊地成孔とのデュエットであります。

ちなみにこのアルバムで野宮さんは寺本りえ子とのユニット、Oui Oui名義でt.A.T.u.の「Not Gonna Get Us」を見事にカヴァーしています。ジュエミリアに続く、日本人カヴァーの快挙。

パナッシュの美少年

倫敦美学(裏ジャケ;上部写真の真ん中女の子のような男子はポール君)【クリックして拡大!】
倫敦美学
美形のオトコたち~80年代編にも登場したポール・ハンプシャー君ですが、彼は80年代初期にパナッシュ(Panache)というニューロマンティック系バンドでキーボード担当でした。元サイキックTV(Psychic TV)という肩書がどちらかと言うと彼のプロフィールの前面に出ており、パナッシュでの美少年アイドルぶりはポール君にとっては恥ずかしい過去のようです。

当時パナッシュはイギリスでライヴ等はやっていたようですが、日本でしかリリースをしていません。日本での成功を足がかりに本国デビューをしたいという考えだったようです。デビュー・アルバムは、『Dancer At The End Of Time(倫敦美学)』(1981年)。ライナー・ノーツを書いているのは、80年代のこの手の仕事を一挙引き受けていたと思われる山田道成氏。帯には「ロンドンのロック・カルチャーを塗りかえるべく運命づけられた五人の騎士達・・・パナッシュ」とあります。第2のQueenやJapanになって欲しいという気持ちだけは伝わります。サウンド的には、ニューロマという以上にT-Rex的なグラムロック路線ですね。やはり、リーダー格のコルム・ジャクソン(Colm Jackson)がT-Rexファンクラブの会長であっただけに。

Panache Live In Japan
その後、パナッシュは『Heartbreak School(パナッシュ・セカンド)』(1982年)、そしてメンバーもかなり入れ替わって『Panache Live In Japan』(1982年)をリリースして消滅しました。

In Strict Tempo
パナッシュに詳しい荒純也さんから以下を教えてもらいました。パナッシュ解散後は、ポール君は、元ソフト・セル(Soft Cell)のデイヴ・ボール(Dave Ball)のソロ・アルバム『In Strict Tempo』(1983年)のジャケにて縛られています。そして、10数年前にバンコクを訪れてから、ラジオ番組「The Hive」でDJや「Re-Hab」というエレクトロ系イベントをオーガナイズするようになり、これがFUTONへの活動へと続いていったようです。

【関連リンク】
FUTON Official web site(avex)
xfuton.com(公式サイト)
GET FUTON
Futonのモモコさんにインタヴュー(ぽめこのタイ壺)

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