テクノとの出会い
Shin Nishimuraさん |
ミッヒとは2年ぐらい前にベルリンで、フランク・ムラーの紹介で始めて会いました。その時は、お互い人見知りするタイプなんで会話はほとんどなかったですけど...でも、ミッヒが長く東京に滞在する時に、御飯に行ったり、パーティーに遊びに来てくれたりして、徐々に会話がはずむようになり(笑)、仲良くなったって感じなんですけど。そんな彼との関係で、ベストクラスだって言われても困りますね(笑)。
――最初にテクノを意識されたのはいつ頃なのでしょうか? 電気グルーヴとか人生も聴かれていたんですよね。それ以前のテクノ(ポップ)系などは聴かれていたんでしょうか?
もともと小学6年生かそれぐらいからブルーハーツが好きになり、それぐらいから日本のインディーズバンドが好きになって、雑誌の『宝島』だとか、宝島のビデオの『VOS』とかを2コ上のお姉ちゃんと買い漁るようになりました。それで電気グルーヴに出会ったって感じです。その頃は、ニューロティカとかがかなり好きで、中学の頃とか良くライブに行ってたんですけど。大阪城の野音でニューロティカのライブがあって、そのライブ前にWAVEに寄ったら電気グルーヴの『FLASH PAPA』が売り出されてて、それから電気グルーヴが好きになったんで、テクノポップとかが好きで...って特別なわけではありませんでした。
――高校時代でのイギリスへ留学が、はやりテクノにはまり、DJになろうと思われたきっかけなのでしょうか? もともとイギリス系の音もよく聴かれていたのでしょうか? 私の年代ではとてもリアルタイムなErasureとかも聴いていたというインタヴューを読みましたが、ちょっと意外でした。
DJになろうって思ったのは、それも2コ上のお姉ちゃんが、高校1年のイギリスに行きたての頃にクラブに連れてってくれた事がきっかけでした。それは「HEAVEN」っていうゲイクラブだったんですけど。なんか、端から見ると、お姉ちゃんっ子って感じですね。
その頃のイギリスはいわゆるレイブミュージックっていうのがとても流行っていまして、例えば、2アンリミテッドとかShamenとかSL2とかもそうなんですけど。クラブミュージックの入り口がゲイクラブ(笑)だったもので、Erasureとかも普通に好きでした。まあ、イギリスに行く前からもよくお姉ちゃんがそっち系のCDをどさって買ってきてくれてて、好きになったってのもありますね。洗脳って感じですかね。