意外と閉鎖的でない京浜兄弟社
――血眼で探している人も多い京浜兄弟社からリリースされた異次元空間コンピ『誓い空しく』(1991年)でも、同じくエキスポとコンスタンス・タワーズが収録されていますね。岸野社長曰く、「京浜兄弟社は、集団がきらいな人達が集まって作った音楽研究集団」との事ですが、松前さんは、この閉鎖的な京浜兄弟社人脈に、どのようにして関わっていったのでしょうか?僕は純粋に岸野とコンスタンス・タワーズをやる事になったので、気が付いたらその友人、ファン、周辺の人がそういう集団名で語られていると知ったまでなんですが、本当は全然閉鎖的じゃなかったですよ。『誓い空しく』は「みんなで作った」感じがすごくいい形で出ているアルバムですね。エキスポの凝り方はちょっと極限までいってました。様々なレコードの歌のメロディから1音づつ抜き出してメロディを組み立てるとか、フレーズを入れたオープンテープを手でさわりながらピッチを変えたり、どくろ団のレコーディングでは、何十人かの合唱を家で録音したり。
松前公高ソロ活動
――では、ソロとしての話を伺います。Transonicから1994年にソロとしてのデビュー・アルバム『SPACE RANCH』をリリースされていますが、これはそれ以前のグループとしてのサウンド志向が180度違いますね。プログレの内向的な遺伝子を持ったミニマルテクノが炸裂していて、シンセサイザーの能力に挑戦って感じです。当時、ミニマルテクノ的なものにも傾倒していたんですか? それとも、プログレ的なものをシンセのみで表現すると、自然とそうなったのでしょうか?結局、いろんな事がやりたくてしょうがないんですよ。「今、これが流行ってるから」とかそういう事じゃなくて、好きな事、やりたい事の一つ一つを考えるとやり残している事があったんです。それがちょうど、こういった世界。タンジェリンやクラウス・シュルツの影響下にある事は否定しませんが、打ち込みの方法で個性は出るものだろうと思いますので、あまり気にしてません。コンスタンス・タワーズがSPACE PONCHという名で92〜94年ぐらいに再活動していたんですが、このときもCD化する事が出来ませんでした。そこで、その思いも入れて、SPACE RANCHというちょっとかけたアルバム名にしました。音楽的には全くちがいますけど、「GALACTIC BONE」という曲はSPACE PONCHでも演奏していた曲です。ソロアルバムで収録するにあたって、より内向的なサウンドにアレンジしました。
――続いて、1996年にSonyから『KILEAK, THE BLOOD SOUND TRACKS & REMIX』をリリース。プレイステーションのゲーム「キリーク・ザ・ブラッド」のサントラをテクノ化したものですね。あまりゲーム・ミュージックが下敷きとは思えない、深海テクノって感じです。ゲーム・ミュージックをテクノに再構築した動機とプロセスについて教えてください。
まず、ゲームとの関わりをお話したほうがいいですよね。エキスポをリリースしたGMOレーベルが、ゲーム・ミュージックを多数発売していてその後、そのスタッフがサイトロンというレーベルをポニーキャニオンに立ち上げるんですが、そこでも「打ち込みは松前!」って事で(笑)、いろいろ手伝いをする事になるんです。よくゲーム・ミュージックCDに入っているアレンジバージョンなどですね。で、セガ、コナミ、タイトー、カプコン、ナムコ、など多くのメーカーのアルバム制作にマニピュレーターやアレンジャーで参加して、その中でセガがちょうどアウトランなどの体感ゲームをFM音源で出していた時期だったので、生バンドでライヴやろうという事になって、S.S.T.BANDを僕がメンバーを集めて結成する事になります。
そういう流れがあってゲームメーカーの方とも知り合ったりで、実際のゲーム音楽の作曲もやるようになりました。「キリーク・ザ・ブラッド」はそれまでのPSG音源や容量の極端に少ないサンプリングと違いプレイステーションなのでサンプリングの容量が増えた事と、ゲーム画面の雰囲気もあったので、ソロアルバムのイメージを硬質なダーク感へと発展させた作品にする事が出来ました。「いろんな音楽性を出したい」という点でもゲーム音楽は向いていたので、他のゲームの曲は全然違ったりしますよ。