コンテンツ名 | コンテンツ/カテゴリー説明 |
---|---|
E.その他ヒップホップ関連コンテンツ | |
UK-ヒップホップ | 80年代中期マルコム・マクラーレン『DUCK ROCK』に端を発し急激に発展してきたと言われるUKヒップホップ。 その成長期に様々な構造分裂を繰り返しオリジナルな発展を遂げ現在のスタイルに辿り付いたUKサウンドは、USとはまた違った独自のスタイルを提唱する。 尚、本コンテンツに関しては検索のイージーさを考慮する点から他のヨーロッパ諸国のヒップホップも所属/分類しています。 |
J-ヒップホップ | 日本にてヒップホップ・カルチャーが認識され始めたのは80年代初期の事。 82年、ラップやレゲエをいち早く紹介する渋谷のクラブ≪ピテカントロプスエレクトス≫がオープンし、そこに集っていたヤン富田、藤原ヒロシ、高木完、ダブ・マスターX等がそうした未知なるカルチャーを追い求め始めることから全てが始まった。 83年には、映画『ワルドスタイル』が公開される事によりヒップホップの全貌が明らかとなり、その種が全国規模で発芽し始めた。 84年には、ブレイクダンスがブームとなり原宿のホコ天を拠点にクレイジーA、DJクラッシュ等が活躍し始める。 85年、雑誌の編集者だったいとうせいこうが企画作品として発売した『業界くん物語』に“業界こんなもんだラップ”が収録され、遂に国内初の本格的なラップ曲が登場した。その後、プレジデントBPMを名乗る近田春夫が登場、また彼が設立したレーベル≪BPM≫からタイニー・パンクス、F.O.E.などの12インチが登場しJ-ラップシーンが創世された。 88年には、高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太による≪メジャー・フォース≫レーベルが始動しECDがデビュー(89年)、またユウ・ザ・ロック&DJベン(90年)、そしてスチャダラパー(90年)もデビューし、US同様日本でも?ニュースクール?時代に突入する。 ECD主催による‘CHECK YOUR MIKE’、DJクラッシュ、dj hondaによる‘ピース・ボール’、スチャダラパーらによる‘LBネイション’、ライムスターらによる‘ファンキーグラマー・ユニット’などのイベント、ポッセも次々と生まれシーンが活気付く。(ついでに『ダンス甲子園』も大ブームに) 94年、スチャダラパー&小沢健二“今夜はブギーバッグ”そしてイーストエンドxYURI“DA.YO.NE.”が立て続けに大ブレイク、ポップ・チャートにも進出し遂にJ-ラップのメジャー進出が実現した。 しかしこのブレイクはMC ATなど生粋のメインストリーマーをも輩出する事となり、アンダーグラウンド・シーンからバッシングを生みだした。 その結果、ツイギー、ユウ・ザ・ロック★、RINOらによる‘KAMINARI’や、ECD主催のイヴェント‘さんピンキャンプ’等ハードコアなアーティスト達がシーンを牛耳るようになった。 その後数年はアンダーグランド・シーンがJ-RAPのメイン・マーケットであったが、98年のドラゴン・アッシュ(これをヒップホップの範疇とするかの真偽は定かでは無いが)の出現、及び世界的なヒップホップ・ブレイクにより、2000年以降アンダーグラウンド、メインストリームの分け隔てなく国内ミュージック・シーンに大きく認知されるようになった。 そして現在、未曾有のヒップホップ・ブレイカー時代に突入し壮絶な生き残り合戦が繰り広げられている。 |
DJ・ターンテーブリスト | R&B/HIPHOPには欠かす事が出来ないDJ・ターンテーブリスト(洋/邦)の検索コンテンツ。 レコーディングDJ及びクラブDJのサイト、またDJ活動に必要な情報を提供するサイトをリンク。 |
プロデューサー | プロデューサー情報の検索コンテンツ。 R&B/HIPHOPシーンではアーティスト以上にサウンドの重要な鍵を握るのがプロデューサーのセンス。プロデューサーによって楽曲がグルーピングされる程、その存在は重要な判断基準となっている。 |