読書は最も手軽で投資効率の高い自己研鑽の方法
読書は多くの人が指摘するとおり、手軽で投資効率の高い自己研鑽の方法です。私が不動産投資を始めたのも、株式投資やFXを始めたのも、起業したのも、読書のおかげといっても過言ではありません。読書による気づきが行動を変え、それが人との出会いを運んでくれました。本から得たテクニックやノウハウを実践する中で、マーケティングや集客というものがわかってきました。そして、今こうしてたくさんの本やコラムが書けるのも、読書のおかげです。わかりやすい文章表現は、やはり本を読まなければ磨かれません。もちろん、本のコンテンツ作りにおいても、多大なるヒントをいただいています。
月に5万円くらいの本代がかかっていますから、1年で60万円、5年で300万円かかっている計算になります。しかしそれが投資で3億円に化け、数億円の会社の売上に貢献し、数千万円の印税をもたらしてくれています。読書とは、なんとも効率のいい投資だと思います。
自分で取捨選択してはいけない
本をたくさん読んでいるにも関わらず何も変化がないという場合、読み方が間違っていることがあります。たとえば、「成功者に学べ」とはよく言われることですが、多くの人が間違うのが、「いいところだけを取ろうとする」ことです。つまり、成功者の話を読んで「これは使えるな、これは使えないな」と判断する行為です。しかし、今までのそういう自分の判断が今の自分を作っているわけです。今までの自分のやり方では壁を越えられない、今までの自分のやり方では成功しない。だからその自分を変えたくて成功本を読んでいるはずなのに、また同じことをしてしまう。今の自分の価値観で判断するのは、今の自分を再生産するだけですから、結局何冊読んでも変わらないわけです。
目次をチェックリストにして徹底的にパクる
もうひとつ、取捨選択する行為がなぜ無意味かというと、今の自分の能力、キャパシティでできるものだけを選ぼうとするからです。成長とは本来、自分に負荷がかかることを乗り越えていくプロセスのはずです。しかし、「これはちょっと大変だからできないな」「今の自分にはムリだな」「お金がかかるからやめておこう」と、苦労なく手軽にできるものだけを選ぼうとします。これでは自分に負荷がかかりませんから、結局成長しないわけです。
ですから、成長し成功するために本を読むのであれば、成功者の本の目次をコピーしてチェックリストとして持ち歩き、全部つぶしていくくらいの徹底力が必要なのです。新しい情報を仕入れるというのは、単なるお勉強です。しかし社会人の自己研鑽とは、徹底的にマネて、徹底的に繰り返し、目をつむってでも繰り出せるほど自分の血肉にしていくことなのです。
無駄な本は一冊もない
読書法の本を読むと、スカ本、無駄本、ハズレ本、ダメな本、というのがあるようです。そんな本を買ってしまうと、お金も時間がもったいないので、いかにハズレ本を避け、良い本を選ぶか、というのが大切だということです。しかし私は、基本的に無駄な本やダメな本はなく、必ず何らかの学ぶものがあると考えています。何か一つでも響く言葉やフレーズがあれば、それで元はとれると思っているからです。どんな本であれ、著者と編集者というフィルターを通って出版されます。出版社によっては、校正者や編集長など、さらに複数の人のフィルターを通っていますが、会社としても「商品としてOK」という判断が出されたものです。ですから、もちろん誰かにとっては役に立たないかもしれませんし、部分的には間違っている内容もあるかもしれない。偏っている本もあれば、人よっては危険な本もあるかもしれません。
しかし、どんな本からでも学べると考えれば、本選びに迷わないし、読んで無駄だったということがなくなります。
もし「役に立つことが何もない」と感じたとしたら、自分の中の「情報を認知する成熟度」が不足している可能性があります。
本を評価するのではなく、学べる部分を引き出す読み方をする
そういう境地に至ったのは、成功した経営者や著者と交流するようになったことにあります。彼らのように優秀で人の上に立つ人は、どんなに格下の相手からでも謙虚に学ぼうとするし、相手が持っている、優れた部分を引き出そうとしているからです。
彼らは成長することにフォーカスしているため、他人を批判することで自分を賢く見せたり、評論することで自分の弱さを守ったりする必要がありません。彼らは、自分のレベルより総合的に劣っていたとしても、部分で優れた点を発見し、それを吸収することができることをわかっているのです。
本を読むときにも同様で、格下の人が書いた本や、普通の人が批判する本からでも、参考になる点を見いだして学べるかどうかが、今後もその人が伸びるかどうかの分かれ目となります。つまり、入門書や初心者向けに書かれた本を読んだときにも、「まだ学ぶものがある」と感じることができるかどうかが、自分の成熟度を測る尺度になるのです。
上級者は安易に他人の批判をしない
どの分野でも、上級者になればなるほど、他者の評価を軽々しく口にしなくなる傾向があります。反対に、「あの人はまだまだ」などと安易に他者の技能を評価するのは、たいてい中級者以下のレベルの人だということです。その理由はまず、中級以下のレベルの人は、他人を批評することによって、より自分が上位にいて、相手よりも賢いことを誇示したいという気持ちがある。逆に上級者は自分のアウトプットで実力を見せられるから、あえて言葉で誇示する必要はない。
次に、上級者は、評価を表明すると、自分よりも進んだレベルにある人、つまり自分よりも洞察力のある人に、自分の未熟さを知らしめてしまうので、それを恐れる。中級者以下はそういうことに無頓着である。
そして、たとえばそのスポーツなり競技なりをこよなく愛する上級者は、やはり同じ対象に取り組む人に対して慈愛の気持ちを持つため、安易に批判することをためらう。しかし中級者以下は嫉妬の対象にしてしまう。本も同様に、安易に書評する人、特に否定的な評価をする人は、中級者以下であり、自尊心の次元が低いということになります。
読書1、考える5、実践10の黄金律
たくさん本を読むことが大切なのではなく、「読んだ本の中から、どれだけ深く考え、どれだけたくさん実践したか」が大切です。「読んでおもしろかった」「ためになった」「新しい情報があった」で満足してしまうと、学んだことを練習せずに、あるいは、ちょっとやっただけで、すぐ次の新しいことを学ぼうとします。これでは身に付くはずがありません。身に付いていないものではお金を稼ぐことができません。もし本を読んでいるけど成果が出ないと感じている人は、考える量と練習量が足りないのではないかと振り返ってみましょう。読書をして「考える」というのはどういうことかというと、「実践のための仮説を作ること」です。
書いてあることがそのまま実践できるものもありますが、たとえば著者が料理人で、自分が営業マンだと、そのままでは使えません。ですから、「自分ならこうしよう」「こう変えれば自分の仕事にも使えるんじゃないか?」という仮説を立てることです。
練習とは、もちろん実践です。いくら本を読んで賢くなっても、それを実行に移さなければ、現実は何も変化せず、お金も1円も入ってきませんから。そこで、読書を無駄にしない一つの方法を提案したいと思います。1日の読書に費やした時間をはかる。次に、その本を離れて自分なりに考えた時間をはかる。そして、考えたことを実践した時間をはかる。
目安は、読書時間:1に対し、考えた時間:5、実践した時間:10 です。あくまでもわかりやすい目安に過ぎませんが、これができないうちは、あえて読書時間を減らす、という勇気も必要です。
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