“The Roots Of B ! ”プリ・プロ番外編 [ dj honda ]
dj honda 『 h?』
(djhonda RECORDINGS DHCY-1-6015)1.17.01
さて、R&B/ヒップホップ好きなら間違いなく‘dj honda’という名前はご存じのことであろう。
しかしこのアーティストに限っては、(ヒップホップという一般社会からするとマイノリズムな世界に属する存在であるにも関わらず)ファンのみでなく、音楽に余り関心の無い人種ですらその名前を認知しているという猛者として君臨する存在である。
(もちろん、御記憶のように過去の一時期、今や大リーグで大活躍するI選手のフェイバリットということで<h>のロゴ入りグッズが爆発的に流行したこともその一因と成してはいたが…。)
しかしそれらはあくまでも≪dj honda伝説≫のある断片での逸話であり...。
1992年、単身ニューヨークに渡ったdj hondaは同年、NMS(ニューミュージックセミナー)で行われた<DJ Battle For World Supremacy>に出場、準優勝を獲得す
る。
今でこそ全世界規模でメインストリーム・ミュージックの中でもジャンルとしてのあるいはキーワードとして≪ヒップホップ≫は完全に市民権を獲得し、その存在はミュージック・シーンのみでなくカルチャーまでをも凌駕しよう程の猛威を振るってはいるが、haonda氏がNYに乗り込んだ90年当初などは≪ヒップホップ≫などまだまだ?子供のお遊び?程度の扱いであり、殊国内においてはあくまでも一部の理解者達だけのプラチナム・マテリアルだった訳で(その存在が無かった訳ではないが明らかに軽んじられていた)、そうした社会的背景を知るUSマーケットではそんなヒップホップ後進国に在する人間に注目する者など皆無であった時代。
しかしながら haonda氏はそうした逆風ともいえる社会背景を物ともせず、既存の常識を打ち崩しNYというヒップホップ発祥の街から賞賛を受けたのだ。
これこそまさに驚愕に値する歴史的大事件以外の何ものでもなく、 今迎えるJ-ヒップホップ・シーンの覚醒期に於いては大いなるネクスト・ステージの扉を開く切欠ともなった偉大なる一石で有った事には違いなかろう。
しかし、それらの偉業を言葉にしてしまうと幾らでも大袈裟な表現に置き換えられ説得力の微塵も感じられなく危険はある。
だからこそ、彼の偉業と実力を証明する証拠として彼がドロップした作品の数々を今一度確認して頂きたい。
(次ページに続く)