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戦争は知らない~J-POPガイド的反戦歌特集(2ページ目)

なにもリアルタイムである必要はないのだ。特に歌は。J-POPガイドによる反戦歌特集は1970年代から2000年代まで時代を分けて御紹介、2回連続の記事でお届けします。

執筆者:常木 晴亮

反権力活動の中に、チラリと見えるユーモア
1980年代編 RCサクセション 「サマータイム・ブルース」

1980年代は、反戦=反原発という図式が色濃くなりました。

82年にアメリカで映画 『アトミック・カフェ』 が公開され、日本では84年にそのタイトルにちなんだイベント「アトミック・カフェ・フェスティバル」が開催されています。J-POPになる直前、まだカウンター・カルチャーだった日本のロックが反核運動と手を合わせた瞬間です。尾崎豊が7メートルの高さの照明台から飛び降りて、足を骨折しながら歌い続けた事が大きな話題になりましたっけ。

そして86年、チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きています。

COVERS
RCサクセション 『COVERS』
事件真っ只中、88年8月の日比谷野音LIVEを収録した映像作品 『コブラの悩み-COBRA IN TROUBLE-』 も必見!
1988年夏。反原発の直接的なメッセージを含んでいる楽曲が無かった当時、「反戦・反核・反原発」をテーマにした洋楽カヴァー・アルバムとして発売を予定していたRCサクセションの 『COVERS』 がレコード会社の一方的な判断によって発売中止となる、有名な事件が起きました。

RCの中心人物、忌野清志郎(いまわの きよしろう)は1951年生まれ。『COVERS』事件の10年後には「君が代」をROCKにアレンジして、やはり発売禁止の憂き目にあうという懲りない人(笑)。反権力的な活動の中にも独特のユーモアがみえる人です。

『COVERS』は、シングル化が予定されていた「ラヴ・ミー・テンダー」もさることながら、東海地震がそこまで来ているのにTVは「日本の原発は安全です」と言っている、と歌われる歌詞が、先の中越沖地震による柏崎刈羽原発トラブルにだぶって見える「サマータイム・ブルース」が秀逸です。

この事件に対する怒りを糧に忌野はその創作活動を一気に活性化させ、それはTHE TIMERS※等、他に例を見ないユニークな活動に結実していきます。しかし、彼のソロ活動の充実がグループとしてのRCサクセションの寿命を縮めることになってしまったとも言え、それだけは残念な事でした。

※ THE TIMERS
「デイ・ドリーム・ビリーバー」に代表される洋楽POPS、ROCKの意訳と、「あこがれの北朝鮮」に代表されるお騒がせな部分をおしすすめたサイド・バンド。これは一応、忌野清志郎ではなく清志郎に似たZERRYという人がやっている、ということになっている(笑)


清志郎本人によるバッシングもあって『COVERS』事件の悪者は東芝EMI、という印象が強いと思いますが、発売中止はメーカーの(想像もつかない程)上層部の判断によるもので、営業担当者を筆頭とする現場の方々は一様に、自分の会社から自分たちが誇るアーティストの作品が出せない事をとても残念がっていたことをここに特記しておきます。

→次のページ は 今も戦い続けるあのアーティストについて です
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