日本でも知名度の高い大物女優・歌手ライザ・ミネリー |
母親の影響で幸薄い結婚を繰り返す ライザ・ミネリの場合
アメリカで高い人気を誇り、エミーなどの賞にもノミネートされてる『Arrested Development』にゲスト出演したことが話題になった大物ハリウッド女優・歌手のライザ・ミネリ。ブロードウェイ舞台の映画化作品『キャバレー』で大ブレイクし数々の賞を受賞した彼女は、1946年3月12日にハリウッドの伝説的大スター、ジュディ・ガーランドと映画監督ヴィンセント・ミネリの間に生まれました。ライザが生まれて最初に病室を訪れたのはフランク・シナトラ。彼女はハリウッド・スターになる切符を手に握り締め、この世に生まれてきたのです。
ライザは、誰もがうらやむような環境の元に生まれ、自身も素晴らしい才能を持っていました。しかし、彼女が本当に欲しかったものは「真実の愛」だったのです。
ライザの両親は、彼女が5歳の誕生日を向かえた2週間後に離婚してしまいます。それからというもの、彼女は父親と母親の新しい家庭を行き来するようになるのです。父親は、常に暖かく彼女を迎え入れ居心地の良い場所をつくってくれたのですが、母親との生活は荒んだものでした。
10代の始めを母親と過ごしたライザは、幼い妹弟の面倒を全面的に見るだけでなく、家事をこなしたり、公共料金などの支払いを担当するなど、主婦役を強いられることになります。また、母親の睡眠薬に砂糖を混入し薬の飲みすぎを防いだりするなど、必死で家族を守ろうとしていたのです。
15歳になり学校を中退して、ブロードウェイの舞台で成功するという夢を実現させるためにニューヨーク行きを決めたライザに対して、母親は反対しない代わりに「金銭的な援助はしないからね。自分で全部やんなさい」「で、舞台でどんな歌を歌うの?まさか、私の歌じゃないでしょうね」と冷たく言い放ちます。
ニューヨークのオフ・ブロードウェイで大成功を収めたライザはスターダムの階段を駆け上がることになるのですが、1969年彼女の人生を大きく変える「母親の死」に直面することになるのです。
母親は睡眠薬の適量超過により亡くなってしまったのですが、まだ23歳のライザは母親の葬儀の手配だけでなく約2000万円にも及ぶ借金も肩代わりさせられるはめになったのです。まだ20歳そこそこの彼女にとって、これは相当なストレスであり、この時生まれて初めてドラッグに手を染めたと告白しています。
映画『キャバレー』で母親が受賞出来なかったオスカーを手にいれたライザ・ミネリー |
3回もの結婚、離婚を繰り返したライザは、2002年音楽プロデューサーのディビッド・ゲストと挙式をあげます。ニューヨークの5番街で行なわれた豪華な式には、ディビッドがプロデュースを手掛けたマイケル・ジャクソンがベスト・マン(新郎の介添)を勤め、エリザベス・テーラーがライザの介添を勤め、各界の著名人がぞろぞろと参列し、この上なく豪華なものとなりました。
しかし、ディビッドがライザの全てをコントロールしたがるなど、二人の関係はすぐにギクシャクしたものになります。愛情に飢えていたライザはコントロールされることにより、愛されていると錯覚したのでしょうか。二人は豪華な式のたった16ヵ月後に離婚の手続きをとることになってしまうのです。
さらにデイビッドは「ライザがアルコールを飲んで暴力を振るった」「彼女との結婚生活で、精神的ダメージだけでなく神経にも異常をきたすようになり慢性的な偏頭痛に悩まされるのようなった」とライザを相手に裁判を起こし、彼女を精神的に苦しめました。
結局のところライザは、母親の愛を求め、母親に少しでも近づこうと、母親の歩んできた道を歩んでいるのではないでしょうか。それ程までに、彼女にとって母親の影響は絶大だったのです。
男性を甘やかすわけではないけれど、ついつい面倒を見すぎて依存されてしまう「母親タイプ」の女性のパメラ・アンダーソン。
母親の愛に飢えており、そのため普通の結婚がどのようなものなのか、本当の愛とは何なのか分からなくなってしまうタイプの女性のライザ・ミネリ。
彼女たちのケースは、ハリウッド的で私達の日常とはかけ離れているものですが、共感できる人も少なくはないと思います。
どんなに有名でどんなにお金持ちでも、永遠の愛を手に入れるということは難しいものなのではないでしょうか。セレブにとっても、結婚とは生生しいもので現実味溢れるものなのでしょう。