アーロン・スペリング
アメリカ・テレビ界のドン『アーロン・スペリング』
アーロン・スペリングは、1950年代後半からアメリカのテレビドラマ制作に携わり、現在までに200以上ものテレビ番組を手がけている超大物プロデューサー。
彼の名前を知っている海外ドラマファンは、かなり多いのではないでしょうか。

彼の代表作品は、オリジナルTV版『チャーリーズ・エンジェル』(1976/81)、ゴージャスな『ダイナスティ』(1981/89)、日本でも多くのファンを獲得した『ビバリーヒルズ高校/青春白書』(1990/2000)、現在アメリカで最新シーズン放送中の『チャームド 魔女3姉妹』(1998~)などなど。

トレンドに敏感で、抜群なセンスと稀に見ぬ才能の持ち主であるアーロン・スペリングは、一体どんな人物なのでしょうか。

幼少の頃は苛められっ子だった

アーロンは、1925年、アメリカ・テキサス州ダラス市で、貧しいユダヤ系移民夫婦の間に生まれました。

幼少の頃、ユダヤ人ということが理由で苛めや嫌がらせにあっていた彼に転機が訪れたのは大学生の時。南メソジスト大学学生時代に執筆した、一幕物ドラマの台本、スクリプトが認められ、ハーバード大学のハーバード財団から"best original one-act play"(最優秀オリジナル一幕劇)の栄誉が贈られたのです。

しかし、このスクリプトの内容が当時のものとしては刺激的だったということと、彼の才能を面白く思わなかった人が多く、アーロンの父親は大手デパートチェーンSearsでの職を失いかけます。アーロンが街を出て行かなければ、首にすると脅したのです。もともとダラスを出て行く気であったアーロンは、1953年ハリウッドへと移り住みました。

最初の妻はあの有名ハリウッド女優

俳優として、ちょい役も経験しながら、アーロンは脚本家としての仕事を増やし、『プレイ・ハウス90』(1956/59)などを手がけます。

プライベートでは『アダムズのお化け一家』(1964/66)のモーティシア役を演じていたハリウッド女優キャロリン・ジョーンズと、1953年に最初の結婚をしました。そして1983年に彼女が癌で亡くなるまで仲むつまじい夫婦として過ごしたそうです。

アーロン・スペリング・プロダクションが出来るまで

アーロンがプロダクション・パートナーシップとして最初に手を組んだのは、アメリカTVコメンテイターとしても有名なダニー・トーマスでした。二人はエミー賞候補に6回も上がった『モッズ特捜隊』(1968/73)などヒット作品を制作します。
href="http://www.amazon.co.jp/dp/B000095YSH/?tag=allabout-22&linkCode=as1&creative=6339"target="new">チャーリーズ・エンジェル
70年代に一世を風靡したセクシー系スパイ・ドラマ『チャーリーズ・エンジェル』
しかし、なんと言っても1971年に、天才脚本家レオナード・ゴールドバーグとパートナーシップを組んだことにより、アーロンのキャリアは開けていったのです。

近年映画化され話題になった『チャーリーズ・エンジェル』のオリジナルTV版(1976/81)ミシェル・ファイファーのTVデビュー作『ファンタジー・アイランド』(1977/84)『探偵ハート&ハート』(1979/84)デビューして間もないジョン・トラボルタが熱演する『プラスチックの中の青春』(1976)などが彼らの代表作。

この頃、アーロンは二度目の結婚をし二人の子供、トリとランディが生まれています。

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