『鳴神』は江戸初期、初世市川団十郎が創始した荒事(あらごと)という歌舞伎のジャンルの代表作です。
団十郎は当時の観客の一種、信仰の対象でもあり、団十郎本人も荒神様など信仰を強く持っており、観客は、人間であり神様の化身でもある団十郎のスーパーマンぶりに酔いしれたわけです。日ごろの憂さをはらしてくれる、若くてカッコイイ超人。人間でもあり神様にも近いアイドル。そこに当時の団十郎人気があった。そんなことを思わせてくれる、新之助の鳴神上人でした。
感動したのは「引っ込み」です。男の純情を裏切った雲の絶間姫(菊之助)を追って、生ける雷となって六法で引っ込みます。筆者は花道側の2階席、つまり花道の真上で見ていたのですが、新之助の気迫に驚かされました。楽日ということで一層気合も入っていたのかもしれません。「クワーッツ」「シャーッ」という声にならない声、気合。そして汗、眼の光。「鳴神上人がそこにいる」としか思えない迫力でした。思い出したのが「ひとつにらんでご覧にいれます」という代々団十郎の襲名披露での名台詞。
観客についた魔を祓うがごとく、クワッとにらんで観客は浄化された気分になる。その理由のひとつがわかったような気がしました。その新之助の迫力は、周囲の生き物のエネルギーを吸い取ってしまいそうな、求心力とでもいうものでした。エネルギーを発散するのではなく、吸い取って自分のエネルギーに替えてしまうような。つまり魔だろうが悪だろうが、全部エネルギーに変換してしまうような。花道の引っ込みは、まるで台風の目が去っていたような激しくもすがすがしいものでした。
こういうスゴイものを観てしまうと、人間、自然と顔が笑ってしまうものですね。「うわあ」と思いながら、自分の顔は間違いなくニマっという顔つきになっていました。見ると周囲の人も……。
新之助だけじゃなく、菊之助も辰之助も、そういう吸い取ってしまう力があるんだ、と実感。そして三人とも、声がすごく魅力的です。役者にとって重要な条件としてよくいわれるのが「一声、二顔、三姿」です。このみっつを備えているのだから人気がないわけがない。
特に声です。新之助の太く、艶やかな、迫力ある声。菊之助の表情豊かで伸びやかな声。そして辰之助の声は、ほんとうに初代辰之助(父)の声に似て来たように思います。色気があり、張りもあり、身体から離れた遠いところから出てきているような不思議な魅力の声。三之助の魅力は「声にあり」と確信した花形歌舞伎でした。
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