出演者と解答者を分けることで「ヤラセ」を防止
「ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝」 今回のコラムの参考文献。ぜひご一読を。 |
前番組の司会でもあった大橋巨泉は、新しいクイズ番組を作る際に、競馬のシステムを取り入れています。解答者を馬に見立てて、問題ごとに彼らに記されたオッズを参考に、出場者が持ち点を賭けていくというもの。
その利点の一つに「ヤラセ」防止がありました。解答者がいくら答えても賞金や商品がもらえないなら、インチキする必要はないだろうという考え方です。これによって、後にはらたいらが27問連続正解といった金字塔を打ち立てることができたのです。
ただ、当時は今ほど競馬のルールが世間に知られていません。シンプルに見えるクイズのルールも、複雑で分かりにくいとあまり評判は良くなかったようです。
裏番組に「欽ちゃんのドーンといってみよう」があったことも、スタートでつまづいた原因の一つでした。そういった問題が山積するなか、番組開始翌月には視聴率が5%を切るという危機的状態にまで陥ったのです。
当時は複雑と思われていたルール設定
当時、小学生だった当ガイドは、この第一回放送を見た記憶があります。おそらく毎週欠かさず見ていたはずですが、正直言って30分後に始まる「8時だヨ全員集合!!」までの繋ぎとして、何となく見ていたのでしょう。
当時は、お茶の間の一角にテレビが据えられ、夜は一家そろってテレビを見ることが当たり前になっていました。日本中のほとんどの家庭が同じようにして、土曜の夜を過ごしていた筈です。
「クイズダービー」放送開始から半年近くたって、いつも一緒に見ていたわが母親が「ああ、そうか。判った!!」と叫んだことがありました。何の新発見をしたのかと聞くと「番組のルールがようやく判った」と言
い放ったのでした。
偶然にも、ちょうどその頃から番組の視聴率は徐々に上昇していき、秋には20%を超える人気番組へと成長を遂げました。おそらくどこの家庭でも、うちの親のようなやり取りがあったのかもしれません。その後、番組の評価は高まる一方で、「全員集合」と並んで土曜夜の定番となりました。
人気復活の秘策とは……