浮き沈み、入れ替わりが激しいお笑いの世界。瞬間風速的に人気を博しても、気がつけばめっきり露出が減ってしまう。なんていうことは日常茶飯事です。むしろ、一時的な大人気は長い目で見ると危険でさえあるでしょう。今回は、そういったお笑い界の中で「一発屋」と呼ばれる芸人の特徴を紐解くべく、「テツandトモ」と「はなわ」を例に芸人としての明暗を検証してみたいと思います。
なんでだろう?一発屋で終わったテツandトモ
一時は「日本全国なんでだろう」などのネタや2人の生い立ち、顔芸写真館などを収録した本まで出版していた。 |
さて、それっていったい「なんでだろう?」大きな要因として、「ギャグ・フレーズものは寿命が短い」ということが挙げられます。キャッチーであるがゆえの伝播力が時として命取りになるからです。ダンディ坂野の「ゲッツ!」や、長井秀和の「間違いない」なんかもその類ですね。
言葉はやがて古くなり、そして忘れ去られるという法則
とりわけテツandトモの「なんでだろう?」というフレーズはTVだけでなく日常生活にも深く入り込み、世代を問わず浸透しました。普段の会話の中でも「なんでだろうねぇ?」なんて迂闊に発してしまうと、「あれ?テツandトモの真似?」と、不本意なパクリ疑惑をかけられてしまうほどでした。つまり、それくらいフレーズが流行ると、その「発案者」も含めて流行っている、という印象も浸透します。「なんでだろう?」=「テツandトモ」という図式を多くの人が知識として共有しているからですね。しかし、言葉はやがて古くなります。
言葉が古くなると、今度は逆にその「発案者」までも「古い」という印象になります。いわば「なんでだろう?」バブルの崩壊です。世の中の多くは、特定の芸人に対して特別な感情を抱きません。一度鮮度を失った言葉は、えてして鮮度を失ったままです。実際のところ、テツandトモは「なんでだろう?」の他にも「全部ウソなのよ」というあるあるネタのシリーズも繰り出しましたが、それも「なんでだろう?」が下火になった空気に後押しされる格好で出た感があり、新しいインパクトを与えるまでにはいたりませんでした。
はなわに見る「二発目」を繰り出すタイミング
一方、はなわに関しても、リズミカルなベースから発せられるネタは非常にキャッチーで、ともすれば「ハムの人」ならぬ「佐賀の人」で終わる危険性を秘めていました。実際、「佐賀県」のCDが15万枚以上売れたとはいえ、同じネタばかりが続くと『ロード』と同じ道をたどる可能性だってありました。しかし、はなわは『佐賀県』が飽和状態になる前に、次なる一手を打ちました。「埼玉県」や「神奈川県」などのネタを発表することで、佐賀県人以外にもあらたな地元意識と共感を与えたのです。さらにはガッツ石松のキャラクターと天然ぶりを大いに引き出した「ガッツ伝説」を発表し、二発目のヒットを飛ばしました。また、彼の場合、ベースを置いても松井秀喜のものまねで「ものまねタレント」という可能性も打ち出し、「佐賀の人」にとどまらないフィールドを確立しました。人気がある時に、自らで自らのイメージを変えていくことはとても勇気がいることですが、はなわはそれがとても巧いタイミングで出来ていたと思います。
さて、次のページではこの二組の売れ方の違いをみてみましょう。