岸田辰彌氏とは1919年(大正8)年からの宝塚の劇作家。岸田先生は、小林一三翁の命を受け、視察のため海外を旅します。「岸田辰彌世界漫遊みやげ」とは、そこで得たもの―おみやげ―をお見せしましょうということでしょう。
『モン・パリ』の主人公の役名は“串田福太郎”。これは岸田氏自身。岸田先生が見て感じたパリの光景やレビューの華やかさを『モン・パリ』で再現したのです。
少し余談ですが――4000人をも収容できる東洋一の劇場で、この『モン・パリ』は上演されたわけですが、チケット代は一律30銭でした。30銭……? それがどんなものか想像すらできませんよね? で、調べてみました。
当時の公務員初任給が75円、コーヒー一杯の値段が10銭。おもしろいものを見つけました。同じく昭和2年、南座の顔見世の観劇料。一番良い席が6円80銭、下の席が70銭。おわかりですよね。30銭とは破格の値段です。
さて、その3年後、昭和5年に『パリゼット』が上演されます。作者は『モン・パリ』で振り付けを担当した白井鐵造氏。「すみれの花咲くころ」が主題歌となったレビューです。
『モン・パリ』の成功がやがて『パリゼット』においてレビューというスタイルを確立した。つまり『モン・パリ』は
――宝塚歌劇のスタイルを作り出した――
特別な作品なのです。そしてそれは宝塚だけに留まらず、日本のショービジネスのスタイルまでも変えた作品なのです。