宝塚ファン/宝塚歌劇入門編

宝塚少女歌劇の誕生

大正3年、宝塚少女歌劇第一回公演が上演されました。演目は「ドンブラコ」。大階段もラインダンスも何もない、お伽歌劇と称される作品で宝塚少女歌劇は産声を上げました。

桜木 星子

執筆者:桜木 星子

宝塚ファンガイド

大正3年に第一回公演を行なった宝塚少女歌劇(=のちの宝塚歌劇団)は、実は前年の大正2年に宝塚唱歌隊という形でデビューしています。16名のかわいらしい少女達が、ピアノを伴奏に唱歌を歌うというもの。場所は同じく宝塚新温泉内パラダイス劇場でした。

この企画考案者、すなわち宝塚の生みの親はご存知小林一三翁。阪急電鉄創立者です。タカラジェンヌの父であり師でもある氏を、タカラジェンヌ達は皆“一三先生”と呼びます。

当時、一三先生は考えました――阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道を郊外に延ばし、その先に人々が集まれる娯楽施設を作ろう、そして集客率を上げよう――その白羽の矢に当たったのが、当時は数軒の温泉宿しかなかった村、宝塚だったのです。

常に時代の先を読むことにかけては天才の一三先生のプランは大成功。
大阪から日帰りで、家族全員が安く楽しめる娯楽。

しかも、女性が舞台という人前で芸を披露すること自体が市民権を得ていなかった時代に、女軽業師のようなどこか侘しいものではなく、芸の向上と良妻賢母を志とする良家の子女達の唱歌隊に続き、お伽噺を題材としたお伽歌劇。
大正7年には帝国劇場で、初の東京公演を行います。

少し話は飛びますが……タカラジェンヌは宝塚の「生徒」と呼ばれます。決して団員とか女優とは呼ばれない。ベテランでもトップスターでも生徒。

これは創立当時の一三先生のお考えゆえ。宝塚は「清く正しく美しく」をモットーとした「学校」と考えられたのです。だから生徒。

その意思は87年たった今でも受け継がれ、舞台に立つようになっても実技の試験があったり、稽古場は教室と呼ばれています。
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