中島丈博脚本の濃さの理由は、出生の秘密…ではない、生い立ちにあります。
1935年京都生まれ。父は日本画家として知られるが、太平洋戦争のため10才の時、父の故郷の高知県の中村に疎開。
そこで起きたのが京都の文化人家庭に育った少年と漁村の人々とのカルチャーギャップ。
当時の中村は夜ばいは当たり前の性に開放的な土地柄で、生身の肉体そのものをモロだしにする野生に近いものがありました。このへんの雰囲気は脚本家志望の青年を描いた自伝的脚本の映画『祭りの準備』(新作『美しい夏キリシマ』がキネ旬ベストテンの1位と好評の黒木和雄監督の代表作)が見事に描き、青春映画の傑作といわれています。
このように育った結果、自ら「自然の一部としての人間の赤裸々な姿」を描くのが作風だといっています。愛と性、憎悪や悲しみ、三角関係の葛藤などを赤裸々に描くドロドロドラマの原点がここにあります。
ちなみに大河ドラマ『炎立つ』の時は原作者・高橋克彦と原作の展開についてバトルになり(原作の完成が遅すぎたという問題もあった)、同じく大河『元禄繚乱』では打ち上げの席で主演の中村勘九朗のことを「目が死んでいる」といってケンカになるなど、作風を体現している人であります。
最後に『牡丹と薔薇』についてガイドがどう思っているか?
タイトルにも書いたとおり、ちょっと濃すぎますね。ぼたんがお手伝いとして野島家に入り、それを香世がいじめるあたりまではのっていたのですが、実の姉妹ということわかってからも、なおも事件が起こり続けるのはちょっとクドさを感じます。
『真珠夫人』は三部構成で盛り上がったーと思ったら直也が外国に行き、また盛り上がったーと思ったら、子供が大きくなりと時代がとんで、その時間のギャップで緊張が緩和されていました。
『牡丹と薔薇』も四部構成ですけど、ぼたんが「子供を産む」といったと思ったら、次のシーンではもう成長していて、一瞬の間に三部から四部になっていて油断もスキもありません。
ドロドロでヒットしているだけに「もっともっと」という気持ちはわかりますが、表現のインフレになると歯止めなく刺激を追い求め、どこかで無理がでてきてダメになるんじゃないか、ということが心配ですね。
『牡丹と薔薇』公式サイト
ガイド記事「昼ドラ女優はやっぱり不幸に?」
ガイド記事「ドッロドロ『真珠夫人』」
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