学問としての食
「どんなものを食べているか言ってみたまえ、君がどんな人間であるかを言いあててみせよう。」著者、サヴァランの名言。 |
一番、ごまかせないもの
どんな質問にも丁寧にやさしく答えてくださる鈴木先生。 |
「一番、ごまかせないものかな。そして重要なこと。ただ僕からみていると、それは解っているんだけど、ではどこから手をつけたらいいのか?そのあたりが解らなかったり、戸惑ってしまっている人が多いのが現実という感じかな?」
確かに、私自身、最近でこそ「食育?それなんですか?」という質問をされることはなくなりましたが、「でも実際のところ、食育っていったい何なんですか?」という質問はたくさんいただきます。こんなにいろんな場所で「食育」という言葉が使われているのに、いったいどうしてなのでしょうか?
鈴木先生はその理由の一つとして食に関するインフラが整っていないことをあげられました。確かに日本では食に関して情報がちゃんと入らない現状や、それらの情報がどこまで開示される必要があるのかどうかについても意見は様々で「コレ」といったものがありませんよね?また、昔はレストランでも八百屋さんやお魚屋さんなどのお店も顔が見えていて、信頼の中で食に接していましたが、昨今は顔の見えないところでそういったものと関わっていますよね。そういったことも問題の一つなのではないかと考えられているそうです。そういう意味では私たちはもっとコミュニケーションのある中で「食」というものに関わっているべきなのかもしれませんよね。