「知識の量と子殺しをするかどうかは関連している」
自分の感情を真面目に見つめ、言語化することが母親たちを救う |
子育て中に誰もが感じる、どうしようもないネガティブな感情の高まりを感じたら、それはなぜなのか客観視し、その感情に言葉を与えること。「自分の感情を真面目に見つめることができる」客観性のある母親は、感情の高まりに飲まれてしまうのを防ぐことができるという。この点で、「知識の量と子殺しをするかどうかは関連している」と明言する名越氏の言葉には説得力がある。
そして、「親であることを意識して、演じること」。この「演じる」ということは決して悪いことではない、と名越氏は説明する。あれもしたい、これもしなければという人生の中で、「自分の限りある時間を子供に与え」子供と向き合うことは、「愛情というものに実体を持たせること」になるのだ。
母親たちが怯える悪夢
タガが外れる「その瞬間」がやって来はしないかと、母親達は悪夢に怯える |
しかし、例えば子どもが殺される事件そのものの数も、子ども全体に対する比率も、1975年からの30年間では確実に減少していることがわかった。そして、世間で報道される「親と内縁関係にある人間や養父母による虐待事件が多い」というイメージとは異なり、子どもを虐待死させるのは「実の母」である事例が最も多い。その実情も背景も様々で、統計だけでは「子殺し」の深奥は見えてこなかった。
例えば夫が仕事でほとんどいない「擬似ひとり親家庭」。ただひとりで子どもと対峙し、狭い空間の中で追い詰められていく孤独な母親。その感情のタガが外れる瞬間は、一言で言い切ることのできない「その人独特の事情が絡んでくる」(名越氏)。
それはかつて自分が成長してきた中で感じていた怒りや悲しみであるかもしれないし、場合によっては記憶の奥底に封印した何かの経験であるかもしれない。配偶者や、家族や、コミュニティへの満たされない気持ちであるかもしれない。
何にせよ、ひょっとしてタガが外れる瞬間があるかもしれないと、悪夢に怯えながら子育てをしている母親たちは日本中にいる。猪熊氏自身が著書の中で語る、4児の子育ての中で経験した惨めな気持ち、焦燥、自分が自分でなく「のっとられたような」感覚には、子育て中の母親なら大いに共感する部分があるだろう。