子育て事情/子育て事情関連情報

病児保育NPOの立役者は20代青年!(2ページ目)

発熱した子どもは預かってもらえないという「保育のエアポケット」。仕事と子育てを当たり前に両立できる社会を目指して、元ITベンチャー経営者の青年がNPOの世界へ飛び込み、病児保育と取り組みます。

河崎 環

執筆者:河崎 環

子育てガイド

20代の青年が、病児保育を変える

「社会を変える」を仕事にする―社会起業家という生き方 駒崎弘樹(英治出版)
「社会を変える」を仕事にする―社会起業家という生き方 駒崎弘樹(英治出版) 元ITベンチャー経営者が、NPOで病児保育問題に取り組む
ガイド本人が、風邪っぴきの自分と息子で一日雨に閉ざされた日にあえて読んだのが、『”社会を変える”を仕事にする 社会起業家という生き方』。20代半ばの青年が、「病児保育問題を解決する」をテーマにNPOを設立する。元ITベンチャーの学生社長が、華やかな世界を脱ぎ捨てて地道な社会起業家となり、それこそ商店街や児童館、保育所、小児科、政治家、役所を回って、保険共済型・非施設型の病児保育サービスのモデルを形作っていく。理念に共感してくれる専門家達の協力を得て、社会的な認知度を高め、子どもが病気になっても仕事を続けられる社会、「仕事と子育てが両立可能なコミュニティ」を拡大していく。

「保育は社会の問題ではなく、個人的な問題」と捉えられがちなのが、これまでの日本の社会だ。子育てが女性の仕事と認識されている限り、女性が子どもを育てながら仕事をするというのは負担が大きく、その間は社会人として「一人前ではない」。だから、専門職や正社員としてフルタイムの仕事をする子育て女性は特殊な「先進例」とみなされていた。

そんな風土では、ワーキングマザーは社会的な支援を受けにくい。彼女たちは仕事の両立を「個人的な問題」として抱えざるを得ず、子育てのおよそ20年間を試行錯誤し、創意工夫し、それぞれに乗り切ってくるしかなかったのである。病児保育というのは、まさに子育てと仕事の両立を図るときのエアポケットであり、病気の子どもを預かってくれる保育施設はほんの限られた数しかない「保育の闇」の分野だったのだ。

多様性から生まれたイノベーション

病児保育イメージ
病児保育はこれまで社会で共有されずにきた
NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏が、それを「おかしいじゃないか」と思い、社会起業を果たすことができたのは、彼が20代半ばの独身青年だったことが(社会にとっても)非常な幸いだったのではないか、と私は衝撃を感じながら読んだ。ひとたび子育てを始めると、その「ままならない」ことをただ受け入れることに慣れてしまい、また「ままならない」ことに意義を唱えることは親として悪なのではないか、わがままな親なのではないかと洗脳されてしまう傾向があるからだ。

駒崎氏は、偶然にもガイドと同じキャンパス出身で、どうやら研究会(ゼミ)も同じだったらしく、私もかつて聞いたことのある、榊原清則 慶応大教授(イノベーション論)の名言に触れている。
「全体を救うイノベーションは、つねに多様性の中から生まれる」。

彼は、子育ての世界での様々な問題は「コップの中の嵐」に過ぎなかったのではないかと鋭く指摘する。子育ての世界は、子を持つ女性や保育関係者だけのものに限られた時代が長すぎたのではないか、だから「病児保育」という、仕事を持つ親にとって切実な問題が、社会で共有されなかったのではないかと。

彼の社会起業に対して、社会の反応は様々だ。好意的な支援もある一方、「保育を金儲けに使うべきではない」と誤解のあるネガティブな反応も寄せられる。行政からは活動を迷惑視されたり、保育業界から「これ以上親を甘やかすな」と寝た子を起こしたかのような言われ方をしたり。

>>フツーの下町育ちの非凡な青年、軽やかに社会を変える>>
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます