⇒中学受験母が語る、my塾弁ストーリー3 サカイ優佳子さんの前編はこちら
“我流”の中学受験
煮豚を刻み、しそと万能ネギ、ゴマと一緒に煮汁で和えたものを丼仕立てに。茹でたオクラ、プチトマト、たたききゅうりにチーズ、フルーツを添えて。 |
「娘の学校が荒れていたんです」
当時、長女が通っていた小学校は、地域でもその荒れようが知れ渡っていた。学級崩壊が起こり、引率ができないといって遠足が中止になる。日米という違いはあれど、いわばずっと公立の教育サービスで育ってきたサカイ夫婦にとっては、それは理解を超える事態だった。
「ちょうどそのころ、娘の漢字テストがあまりにひどい出来だったのにもショックを受けて」
小4の秋から補習塾へ通わせ始めたら、程なくしてその塾が四谷大塚の準拠塾になった。ちょうど学校の荒れ具合がひどくなっていったので夫と相談。中学受験を意識したのは長女が小5の春くらいからだったという。
しかし、サカイ夫妻が「ここはいいね」と選択したのは、2教科に口頭試問を課すだけの学校。そのころ2教科受験校が次々と4教科受験校へと変わって行ったトレンドに反して、受験準備は2教科に絞った。長女の小6への進級を目の前にして、中学受験塾選びを始めたものの、
「2教科だけを勉強するんじゃ中学に行っても伸びませんよって、大手の進学塾じゃ門前払いですよ」。
受からなかったらそれはそれで、と親は腹をくくっていたが、
「そんなやり方は損だ、バカだ、と周囲からは猛反対を受けました」。
でも、サカイさんは揺らがなかった。うちはこれでやりますと、説明会に出かけた大手塾とケンカ別れもした。あちこちからの情報に揺らがなかったのは、何校か見に行った大手進学塾での様子を「マクドナルド方式」だと感じて、何の魅力も感じなかったから。
成績優秀ならゲーム機がもらえるよ、点数のいい子からおもちゃをもらえるよと、おもちゃで釣っているように見えた。そんなことでしか勉強できない塾なら行かなくていいと、椅子を蹴って立ち上がったこともある。自分は大学受験でも塾に全く行かなかったから、塾に頭を委ねるのには抵抗があった。
結果、選んだのは個別指導の塾。大手塾の元講師や、学校教員がスピンオフするような形で立ち上げた塾だった。受験したい学校を告げると、「知る人ぞ知る」という学校だったが先生が自分で行って調べてくれた。
「ここはいいですね」
と、サカイ家の方針にも賛成してくれた。オーダーメイドの授業となり、それなりに授業料は高かったが結果的に大手に比べればむしろ割安で、満足感も高かった。