マカオGP近代化の立役者、テディ・イップの登場

モナコGPを真似たマカオの海沿いを走る草レースを一大レースイベントに押し上げたのがアジアの大富豪、セオドール”テディ”イップである。
マカオGP博物館にあるテディ・イップ氏の写真。インドネシアに生まれオランダで教育を受けた華僑であるイップは香港に移住した後、実業家として活躍した。米の輸入で莫大な富を築いた彼は50年代からマカオのレースに参戦していた。

テディ・イップは自らステアリングを握り、レーシングドライバーとしても活躍したが、やがてチームオーナーとしても活躍。さらにスタンレー・ホー氏と手を組み、有名なリスボアカジノをはじめとするカジノ事業を発展させ、マカオを観光地として発展させることにも尽力した。マカオの草レースがレースイベントとして成熟した背景にテディ・イップの存在は欠かせないのだ。
イップ自身が駆った葉巻型のフォーミュラカー。イップは70年代にオーストリア人ドライバーのバーン・シュパンをサポートするため、F1チーム「エンサイン」のスポンサーも務めた。さらにマカオグランプリのレースにもバーン・シュパンを出走させて優勝を飾っている。そして1978年にはセオドールレーシングを立ち上げF1に参戦し、ケケ・ロズベルグのドライブで優勝も飾った。また、海外の有名ドライバーを招いたレースをマカオで開催するなど、レースに対する情熱とイベント企画力はハンパなものではなかったという。

テディ・イップの情熱でその名が知れ渡るようになったマカオグランプリは74年から「フォーミュラパシフィック」のレースがメインレースとなり開催されていた。その後1983年からは現在のマカオGPの代名詞とも言えるF3格式での国際レースに変化を遂げ、 それまでとは異なる若手レーサー中心のレースになっていった。

イップがサポートしたセナのマカオGP優勝

イップは自らのチーム「セオドール」でF1に参戦していたが、83年のF3格式になったマカオGPも手を抜かなかった。「セオドール」のF3チームは英国F3を制したブラジル人、アイルトン・セナ、同じく英国F3でセナのライバルだったマーチン・ブランドル、そしてF1ドライバーのロベルト・ゲレイロを起用し参戦。このレースで後にF1ワールドチャンピオン、市街地コースのモナコで「モナコマイスター」と呼ばれることになるアイルトン・セナが優勝を飾った。
マカオグランプリを象徴するマシン、83年にアイルトン・セナが優勝したラルトRT3。エンジンはトヨタだ!マールボロカラーに「徳利賽車隊 香港」という漢字の表記が特徴的。

このセナの優勝がキッカケとなり、マカオグランプリは若手の登竜門レースとして知られていくことになる。世界中の若手F3レーサーがこぞって参戦し、後にF1に昇格しても語り草になる名勝負がここマカオで生まれた。