20年目の鈴鹿。継続開催の夢は叶わず。
1987年、初開催の鈴鹿F1で優勝を飾ったゲルハルト・ベルガーのフェラーリ。 |
2007年のF1日本グランプリ開催地は静岡県・富士スピードウェイですでに決定しており、8月下旬にFIA(国際自動車連盟)から発表された2007年のF1暫定カレンダーに鈴鹿の名前は無かった。
しかし、例外的に「パシフィックGP」の名前でF1が日本で2度開催されたケースもあり、鈴鹿サーキットは最後の望みにかけて交渉を行ってきたが、残念ながら合意には至らなかった。
鈴鹿サーキットからの2007年F1開催に関する報告
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1ヶ国1開催の原則。
鈴鹿のピット前で作業をするマクラーレン・メルセデスのピットクルー。 (写真提供:鈴鹿サーキット) |
しかし、集客の見込める国では上記のように名前を「地域名」や「別国」の名前にして2回開催するという例外が存在する。
その代表例が「サンマリノGP」である。サンマリノは61.2平方キロメートルの小さな国で、イタリアの内部にある。もちろん開催地であるイモラサーキットはこの狭い国土には存在せず、イタリア国内にある。要はイタリアでイタリアGP開催地のモンツァサーキットと2回開催するために、名前を借りているだけなのである。
また曖昧な地域名で開催される「ヨーロッパGP」はドイツ・ニュルブルクリンクで開催されている。ドイツGPの開催地、ホッケンハイムリンクと2度の開催となっているのは、シューマッハ兄弟の人気、メルセデスとBMWの参戦が大きな理由である。
日本ではF1ブーム期の94年、95年に岡山県・TIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)で「パシフィックGP」が開催された例がある。
日本で2回開催が難しいその背景は?(次ページ)