赤城神社と一体となったマンション『パークコート神楽坂』が竣工
西暦1300年頃が起源とされ、江戸時代には「赤城大明神」とよばれ、「日枝神社」「神田明神」とともに「江戸の三社」と呼ばれた「赤城神社」。その後の大火や戦災で消失し、昭和26年に本殿、34年に拝殿が完成しました。神社の隣には幼稚園が併設され、地域と密着し親しまれていたようです。建物は徐々に老朽化し、ピーク時は500人に上った児童数も30人足らずとなり、その中で「赤城神社」から今回事業パートナーを務めた「三井不動産」に相談があり、定期借地権を活用した、今回の事業再生スキームが組まれました。
神社の建つ底地に70年の定期借地権を設定し、その上に神社及びマンションを建てることで、神社の費用負担をなくし建て替えを行っています。
神楽坂の街並みにあった、地域と調和する建物に
隈研吾氏の設計監修
同マンションの開発にあたっては、赤城神社の近くに居住する著名建築家「隈研吾」氏に設計監修を依頼し、神楽坂の街に調和させるとともに、神楽坂文化の発信拠点となるような、仕掛けがされています。例えば、マンション内の境内に面する場所に設けられたカフェスペース「赤城カフェ」やワークショップなどを行える「地域貢献ルーム」。赤城神社の地下に設けられた「参集殿(ホール)」では、氏子の総会だけでなく結婚式や講演会なども行われる予定です。
「本殿」とは別に建てられた「神楽殿」では、境内のスペースと合わせて茶会や交流イベントも開かれる予定です。
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