社会ニュース/よくわかる政治

チェチェン紛争基礎知識(2ページ目)

ロシア政情の不安定要因、チェチェン紛争問題についての基礎知識です。広大なロシアの本当に一角の一角チェチェンがなぜこのように世界の注目を浴びているのか。キーワードは「イスラム」。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【チェチェンってどこ?】
2ページ目 【なぜチェチェンは独立を求めるのか】
3ページ目 【アメリカはじめ先進国の二重基準】

【なぜチェチェンは独立を求めるのか】
もう1つの「イスラム問題」それがチェチェン


1991年にソ連が解体する前後から、ソ連を構成していたロシアなどの共和国などはいっせいに「主権宣言」つまり、ソ連に頼らず独立国家としてやっていくぞ、と事実上の独立宣言をしていました。これがソ連解体につながっていったわけですね。

と同時に、ロシアのなかで「自治共和国」とされていたいくつかの地域も、独立を宣言するようになりました。特に黒海とカスピ海にはさまれたカフカス地方では、民族・宗教が入り組み、独立の気運は高まっていきました。



しかし、ソ連崩壊後、ロシアはそれまでの自治共和国を共和国に昇格させながら、ひきつづきロシア連邦のなかで統治するという方針で、自治共和国の独立を認めませんでした。

 

特にイスラム教徒の多いチェチェン=イングースは連邦残留派のイング-スと独立派が多いチェチェンに分裂。もっともチェチェン内部にも連邦残留派がいたので、内戦が始まり、ロシアも大規模に介入。1996年まで、この内戦は続きました。

おさまったはずの内戦でしたが、この間(おもにロシアの弾圧によって)急速に広まったイスラム原理主義者を中心とするチェチェン=ゲリラがテロ活動を開始、1999年にロシアは再び大規模な軍事行動に出ます。

この軍事行動においてほぼチェチェンのゲリラは鎮圧された、といわれています。しかし、各種のテロ事件が示すように、根絶、とまではいっていないのが現実のようです。

ちなみに、このときチェチェン鎮圧の指揮をとったのが当時のプーチン大統領。かれはこれで一気に国民的人気を得て(!)大統領選に楽勝したのです。

イスラム原理主義者と、軍事大国との戦い。どっかで見たような図式が、ここでも垣間見れるわけです。これに大して、国際世論はどうみているのでしょうか。次のページで解説していきましょう。
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます