台湾には、11の先住民族がいます(現在認定されているのが11族)。(1)阿美(アミ)族、(2)泰雅(タイヤル)族、(3)布農(ブヌン)族、(4)卑南(プユマ)族、(5)達悟(タオ)族(雅美<ヤミ
族)、(6)魯凱(ルカイ)族、(7)鄒(ツオウ)族、(8)賽夏(サイシャット)族、(9)邵(タオ)族、(10)排湾(パイワン)族、(11){口葛}{王馬}蘭(クバラン)族です。
その中の賽夏族が2年に1回のお祭「巴斯達隘(パスタアイ)」を2002年11月15日~18日(4日間)で行いました。今年でお祭り見学2度目、その報告をいたしましょう。
その賽夏族には、2年に1回(旧暦の10月)巴斯達隘(パスタアイ)を、そして10年に1回の大祭を行います。「巴斯達隘」は賽夏族の言葉で”喜びの歳月”という意味。また、このお祭りは別名「こびと祭」としても有名で、彼らにとっては最も重要な儀式です。現在お祭りをしているのは2カ所、今回見学した苗栗縣南庄郷向天湖村(こじんまりとして見やすい)と前回見学した新竹縣五峰郷(まとまりのない感じ)です。
このお祭りの由来にはこんな話があるのです。それはタアイ(小人族)の慰霊です。
昔、賽夏族の近くに背の小さな人たちが住んでいました。この背の小さな人たち(小人)は枇杷の木に登っておしゃべりしたり歌を歌ったり、とにかく陽気でオープンな人たちでした。彼らは賽夏族の村に来ては賽夏族の女性にちょっかいを出していて、たとえば背が低いから手の届く場所がお尻だったためお尻をさわったり、からかったり。でもこれは彼らなりの愛嬌だったですが、賽夏族にしてみれば野蛮な行為だったので、賽夏族は怒って小人たちを殺してしまいました。逃げまどう小人が川にかかる丸太の橋を渡ろうとした際、賽夏族がこの丸太橋を切ったため川に落ち、瀕死の際に小人が「この恨みは代々続くぞ。だから2年に1回祭を開いて私たちを慰めろ。その祭は4日間、祭の時に餅をつけ。餅つきをしないと3日目に衣服を臭くして、家畜を全部殺す。まじめに餅をつかないと餅すらもウジ虫に変えてやる」と言い、死んでいきました。ただ、小人の長老ら2名だけが山中に逃げ延びました。
その後、賽夏族の村には不幸が続き、さらに逃げ延びた山の洞窟から夜な夜な泣き声が聞こえ、これは小人たちの祟りだと思った賽夏族、
長老達に許しを請いました。とはいえ、賽夏族と小人が一緒に生活する事は不可能で、結局生き残った小人たちは東の方向に去っていくのですが去り際にお祭の細かい指示をしていいました。
賽夏族は言われた通りお祭りをするようになり、すると村には安泰が戻ってきた、というのが始まりです。(※この説は様々で、少々違った説も存在します)
今回見学したのは苗栗縣南庄郷向天湖村、ここに賽夏族の頭目がおられ、お祭に込められた別の意味も教えてもらいました。それは、背の小さい人たちの他に2種類の神様もおまつりするそうです。しかもランクとしてはこれまで定説だった小人は最後の3番目。
1つ目は「雷女」という雷の女神(賽夏族の言葉でビィワ)。2つ目は「海龍女」という海に住む女神(ガトゥトゥン)。そして矯人神(小人:ククタアイ)です。
お祭の衣装には刺繍があるのですが、その模様はこれら3つの神様をモチーフにしています。 卍マークも入っており、これには雷の意味があるのです。 |
これは海龍女神。 これは矯人神。 |