今回インタビューさせていただいた新美由見子さんのすごさを日本の人たちにわかりやすく伝えるなら、このようになる。NYシアターバレエのダンサーとして『くるみ割り人形』の主役であるクララ役を演じたり、現在もミュージカルのダンサーとして活躍中。NYでは、大人のためのバレエレッスンも行い、一般の人へバレエを教えている。宝塚歌劇団へ、ミュージカル『オクラホマ』の演出に出向いたことがあるという演出家ジェムジー・デ・ラップ氏に後継者の一人として認められている。まさに、これからも世界を舞台とするダンサーなのである。
由見子さんは、普段から姿勢が正しくて美しい。 |
小さなころからの夢はバレリーナ
ガイド:なにがきっかけでバレエをはじめたのですか?
由見子さん:
子供のころに身体が弱かったんです。まっすぐ歩けなくて、よく転んでいました。近所の病院に一人で点滴を打ってもらいに行ったことや骨接ぎに連れて行かれて痛い思いをしたことも記憶にあります。お医者さまが、バレエをやると脚も強くなるしいいよと勧めてくれて。3歳からバレエを始めることにしました。
東京の自由が丘で、石井はるみ先生が子供のための創作舞踊を教えていたのでそこに通いました。童謡で踊ったりしていたんですよ。そこから刑務所へ慰問に行ったりもしました。無期懲役の人たちのための慰問で、子供ながら貴重な経験をしたと思います。
5歳ぐらいまでやってるうち、バレエは「続けたい」と自分から言ったんです。その頃からバレリーナになるのが夢になりました。11歳くらいのときには、文部大臣賞の一環でもある東京新聞主催のコンクールで、ペアで入賞していました。
NY旅行は振袖の代わり?!
由見子さん:本格的にクラシックバレエを始めたのは12歳のときです。石井先生のクラスで一緒だった友人が行っていたので、谷桃子先生のレッスンを受けに行きました。
その後は、文化学院の演劇科で演劇を学びました。谷先生の行かれた学校なので、そこに決めました。学校などもすべて、バレリーナとして必要な演技力などを学ぶために選びました。
ガイド:
NYに来たきっかけは?
由見子さん:
きっかけは、谷バレエの頃の友人の勧めでしょうか。20歳のとき成人式の振袖を作る代わりに1ヶ月のNY旅行がしたいと、親に頼んで。
NYへ来たことで、バレエを続けることに運命的な出会いがありました。この頃、バレエを続けるかどうするか迷ってる時期だったんです。それは身体が硬くて、脚が開かないタイプだったせいもあって。友人に勧められジェタ先生というヨガの先生に出会ったんです。その先生は、ジャイロトニック(Gyrotonic)というバレエをするためのエクササイズを開発した一人でした。私は英語がまったくできなかったけど、彼女は身振り手振りで、毎日丁寧に教えてくれました。レッスンを受けるうち脚が、だいぶ開くようになって、希望がもてるようになったんです。それで、やっぱりバレエを絶対に続けよう!と決めました。
「大学は卒業しなさい」と父に言われていたので、大学を卒業しました。
どうしてもNYへ戻りたかったので、父に頼むと「半年はサポートするけど、その後は、自分でなんとかしなさい」というので、大学卒業後にNYへ戻ってきました。NYシアターバレエのオーディションを受けたら幸運なことに、受かったんです。語学力はほどほどだったのですが、演技力を買われたんでしょうね。『くるみ割り人形』のクララ役に抜擢され、それから7年ぐらいそこで続けました。シンデレラや古典や創作のものなども演じました。
ダンサーとして演出家ジャムジー・デ・ラップに認められた由見子さんが、彼女の後継者に? 次のページへ。