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秋に向けて!ちょっとした庭園の楽しみ方

三方の山に囲まれ、湧き水や川の水が豊富な京都。庭造りに適している地と言われています。そんな、京都には、沢山の名庭があります。そこで、簡単!庭園の楽しみ方をご紹介。

執筆者:岡本 美科

京都・日本庭園の楽しみ方
銀閣寺事慈照寺。足利義政自身が作庭指示したと言われる池泉回遊式庭園。
京都は、三方の山に囲まれており湧き水や川が豊富で、庭造りには適した地とされています。その時代時代により様々な名庭が生まれてきました。そして、今も尚そのままの形で見ることができます。四季折々で色々な楽しみ方が出来、見る側の心情によって見方も変わったり、何度訪れても飽きることなく堪能できます。そんな京都の名庭を楽しんでみませんか。


【contents】
■散策する前にどうぞ。京都庭園の歴史……P1
■歴史を代表する作庭家3人の庭・夢窓国師、小堀遠州、小川植治……P2
■ガイドが思うお庭の楽しみ方……P3

散策する前にどうぞ。京都庭園の歴史

京都・日本庭園の楽しみ方
お金のデザインにもなった寝殿造り庭園。優雅な公家の世界を垣間見る一瞬です。
庭園めぐりの前に、チョット豆知識。簡単な京都の庭園の歴史をご紹介します。

京都の庭園造りの歴史は、平安時代初期にさかのぼります。自然をモチーフにした寝殿造り庭園が、最初では無いかと言われています。現在の大覚寺の大沢池などが、その当時に現存する庭です。

その後、平安中期になると浄土思想である極楽浄土に模した池庭・浄土式庭園が出てきます。基本的に寝殿造庭園と大差はなく、 阿弥陀堂等の寺院建築が建てられるようになりました。現存している例としては、平等院庭園や法金剛庭園などです。

京都・日本庭園の楽しみ方
特別史跡及び特別名勝の庭園。金閣を写す鏡湖池のこの風景は、最も有名な場面です。

そして、中世から近世に掛けて武家社会へと移り、鎌倉時代には、武家の邸宅である書院に庭園が作られるようになります。これを書院式庭園とも言います。庭園は やや小さくなり、作りも簡素となってきますが、基本的には浄土式庭園に近い形態が引き継がれています。その後、室町時代へ移っていく事になります。その例が、金閣・銀閣の名で知られている鹿苑寺・慈照寺です。

また、室町時代には、禅宗の普及とともに、枯山水庭園が作られるようになります。 自分の感性で心象風景を表現する枯山水は、水を使わず大海を砂敷で見立てたり、石や刈り込みの樹木で山を表現したりしました。それまでは庭園の一部として作られていた枯山水が、独立した庭園としての地位を確立します。

桃山時代に入ると、茶道が確立されて行くにあたり茶の湯をたしなむ場とし、茶室や茶庭が作られ庶民の間にも普及していきます。

京都・日本庭園の楽しみ方
四季折々で美しい表情を見せてくれる庭達。自然な趣きを残しつつ、作庭者の意図を感じられるのが日本庭園の素晴らしさです。二条城二の丸庭園
江戸時代になり、大名やその家臣達が主君を迎えるために庭園を作るようになります。これを大名式庭園ともいいます。広大な 敷地に茶室や枯山水等を取り入れ、庭園の中を回遊して鑑賞する庭であるため、様式としては回遊式庭園と呼ばれます。その例が、二条城二の丸庭園や醍醐寺三宝院庭園、金地院庭園です。そして、武家以外の庭は、京都御苑内の拾翠亭(旧九条家)等の天皇家や公家の庭園も作られ桂離宮など王朝時代の風流を受け継ぐ回遊式庭園です。

近代になると、江戸中期から起こった自然風景主義的な庭園の集大成の時代へと移っていきます。そして、野山に小川が流れる身近な里山の風景をモチーフにしたものを、多く表現されていきます。その代表の作庭者として小川植治(治兵衛)が、あげられます。平安神宮神苑や無理菴などが有名です。植治は、巧みに水の流れを演出し、それまでの作庭手法に加え、芝生の広場やサツキ等の低木を群植を多用する独特の手法によって、多くの作庭を手掛けていく事になります。そして、現在の作庭へと受け継がれていきます。

※参考資料:京都・観光文化検定試験公式テキストブック(淡交社)

次は、「歴史を代表する作庭家3人の庭・夢窓国師、小堀遠州、小川植治」
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