守礼門は首里門、別名「上の綾門」
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沖縄といえば守礼門 |
守礼門は2千円札の象徴にもなっている有名な門で、切手やテレカにもなりました。中国風のデザインで、これを庶民は「上の方にある美しい門」の意をこめて「上の綾門」(いいのあやじょう)と呼んだそうです。
ここだけの話、かつては札幌の時計台、高知のはりまや橋と並んで「日本三大ガッカリ観光地」と言われたこともある守礼門でしたが、首里城の再建整備とともに「脱ガッカリ化」に成功しています。
安全祈願の園比屋武御嶽石門
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園比屋武御嶽石門 |
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)は門というよりは建造物で、礼拝所です。琉球王が外出するときに安全祈願をする「礼拝の門」というわけですね。
琉球の最高位神女・聞声大君(きこえおおぎみ=司祭)の即位式でも、まずここでお参りして斎場御嶽(せーふぁーうたき)へ向かいました。国家行事や祭祀と密着した重要な御嶽(うたき=礼拝施設)です。
中国の使者を歓迎した歓会門
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歓会門 |
歓会門(かんかいもん)は首里城内に入る第一の正門です。中国からの使者「冊封使」(さっぽうし)たちを歓迎するための門で、別名「あまえ御門(あまえうじょう)」とも言います。「あまえ」とは「喜ばしいこと」を意味しています。
門の両側には魔除けのシーサーが鎮座しています。
貴重な湧水のある瑞泉門
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瑞泉門 |
「瑞泉(ずいせん)」に「めでたい、清らかな泉」の意味があることで分かるように、門の手前には「龍樋」(りゅうひ)と呼ばれる湧水があります。「樋」は川や泉、あるいは雨水などを流す装置とでも言ったらよいでしょうか。
そのため瑞泉門は「ひかわ御門」(うじょう)とも呼ばれ、首里城の飲料水として使われていました。「ひかわ」の「ひ」は、もちろん「樋」です。
漏刻門は遅刻じゃなくて水時計
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漏刻門 |
漏刻門(ろうこくもん)の意味は中国語でズバリ「水時計」です。首里城第3の門であり、別名「かご居せ御門」(うじょう)とも言います。駕籠に乗って登城する首里城の高官たちが、首里王に敬意を払い、ここでかごから降りたと言われています。
設置した水槽から水が落ちる量で時間を計ったそうで、ここで太鼓を叩いて知らせると、東や西などの門でも同時に大鐘を鳴らし城内だけでなく城外まで時刻を知らせたそうです。漏刻門には水時計の補助をする日影台(にちえいだい=日時計)も置かれてます。
裁判所だった広福門
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広福門 |
第4の門は、福を行きわたらせる「広福門」(こうふくもん)」は、別名「長御門」(ながうじょう)といいます。建物そのものが門の機能をもっているからですが、これは首里城の城門の特徴ですね。門前からは龍潭(りゅうたん)の池が見わたせ、東に弁財天堂や円覚寺の総門、遠くには虎瀬山(とらずやま)や弁ヶ嶽(べんがだけ)の緑が望めます。
琉球時代は神社仏閣の管理所「寺社座」と士族の財産争いを調停する「大与座(おおくみざ)」が置かれていました。行ってみれば役所ですね。現在は、券売所として利用されています。
偉い人は真ん中を通る奉神門
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首里城奉神門 |
奉神門(ほうしんもん)は「神をうやまう門」の意味です。首里城正殿の「御庭」(うなー)へ入る最後の門であり、別名「君誇御門」(きみほこりうじょう)とも言います。向かって左は「納殿」(なでん)と言い、薬類・茶・煙草などの出納を取り扱い、右側は「君誇」(きみほこり)と言い、城内で儀式がある時などに使われました。
3つの門のうち、真ん中は琉球王や中国の冊封使など、身分の高い人だけが通ります。役人などは両側の門から入城しました。ここには首里城のミュージアムショップがあります。
さて、門はこれだけはありません。まだまだあるのです。次のページをどうぞ。