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世界遺産の首里城は5つもあった!?(3ページ目)

かつて、日本三大ガッカリ観光地の一つと言われたこともある守礼の門。首里城の再建が進むにつれて脱ガッカリ化に成功。首里城の全容を「門」から解明してみました!

執筆者:鈴木 雅子

男子禁制の左掖門

首里城
男子禁制の御内原
正殿を境にして西側は男性が取り仕切る「表」の世界。東側一帯は「御内原」とよばれる「奥」となり、国王やその親族のプライベートな空間でした。国王をはじめごく限られた男性を除いて男子禁制です。

御内原の中心は王妃の居室である黄金御殿(くがにうどぅん)で、左掖門(さえきもん)はその1階です。別名「クラシン御門」(暗闇の意)と呼ばれ、昼でも暗いのですが、その理由は城内深く攻め込まれた時、暗闇を利用して敵を撃退するためだったようです。


右掖門は「奥」への通用口

首里城
右掖門
右掖門(うえきもん)は御内原 (おうちばら)への通用門です。御内原には王妃の居室である黄金御殿のほかに、国王親族の食事を整える寄満、御内原を管轄する世添殿、国王死去の際に霊柩を安置する寝廟殿、世子の即位の礼を行う世誇殿などがあったそうです。

右掖門からは、瑞泉門の龍樋と同じく首里城の貴重な水源である寒水川樋川(すんがーひーじゃー)に行くことができます。この水脈は、城外の円鑑池(えんかんち)を経て龍潭池(りゅうたんいけ)に至ります。

女官の通る久慶門

首里城
久慶門
久慶門(きゅうけいもん)は首里城外郭の北側にあります。おもに女官たちが使用していました。別名「ほこり(誇り)御門」(ほこりうじょう)とも言われるのですが、言葉的には中国の使者を歓迎した歓会門の「あまえ御門」と対をなしています。

門の作りも、歓会門と同じです。現在は首里城郭内の観覧順路の出口となっています。

普段は隠されていた木曳門

首里城
木曳門
木曳門(こびきもん)は、普段は石積によって封鎖されていました。門の前に大小の岩や大木を置き、わざとその存在を隠していました。首里城内で修復工事が行われ時だけ開けられ、木材などの搬入口として使われていました。数年に1度の頻度だったそうです。

現在は車いすなどの通路として活用されています。

王位継承儀式は継世門から

首里城
継世門
継世門(けいせいもん)は首里城の東側の門で、いわば裏門にあたります。別名「すえつぎ御門(うじょう)」といいます。普段は城内への生活物資の搬入や城外へ物を持ち出す際に使用されていました。城外の赤田村に向かっているため「赤田御門」とも言いました。

継世とは、国王が死去した時に世継ぎの王子がこの門を通って城内に入り、世誇殿で王位継承の儀礼を行ったことから付けられています。

首里城
美福門跡
さて、首里城の門はこれだけではありません。御内原のはずれに先王の神位を祀り、国王が死去した際には霊柩を安置する聖域「寝廟殿」に入る白銀門に、王位継承者が即位の礼を受ける世誇御殿へ入る美福門。

首里城
首里城の城壁
再現されていない門もあります。首里城の大手道である綾門大道の起点にあった中山門は守礼門と対をなす門ですが、現在も復元には至っていません。

以上、世界遺産「首里城」の門をテーマにご紹介させていただきました。首里城に行ったことのある方でも、何気なく見すごしていたスポットがあったのではないでしょうか。次回はじっくりと時間をとって、古の琉球ロマンを想像しながら城内をゆっくり散策してみませんか。新しい発見があるかも知れませんね。。

沖縄デジタルアーカイブ「ワンダー沖縄」
首里城公園オフィシャルサイト
那覇観光協会/那覇なび
AllAbout沖縄・那覇周辺情報

※今回の写真は、沖縄写真旅行沖縄発役に立たない写真集那覇観光協会真南風プラス沖縄デジタルアーカイブなどからお借りしました。
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