那覇市に住むよしのさん(仮名・34歳)の印象を一言でいうと「イイ女」です。チャキチャキの江戸っ子。モノゴトをはっきり言うタイプで、ビジネス能力も高い。彼女は来年初頭に、ワーキングビザを取得してアメリカに渡ります。勤める職場も決まっています。
「3年も居たのにイイ男には出会えなかったし、このまま沖縄にいても一緒よぉ」
冗談交じりに言ってましたが、次の飛躍に向けてのパワーを得ることができたのは、沖縄での3年間が大きかったのではないかと思います。
そもそも彼女が沖縄に来たのは、何かをやるためではない。何もやりたくなかったからです。
人生に意味を見出せなくなったとしたら |
逃げるように沖縄へ来たのは
沖縄に移住する前、よしのさんは東京青山にオープンするカフェの責任者を任され、大成功させた経験をもっています。2店目オープンの話が出た時期に、彼女は恋人を失いました。病死です。「仕事のいそがしさにかまけて、彼との時間を大事にしなかった」
後悔がよしのさんを襲います。仕事、仕事、仕事。いつも仕事を優先させてきた自分に対する自己嫌悪。いったい何のために働いてきたのか。
よしのさんは、東京から逃げるように沖縄へやってきました。当時は「何もかもどうでもいい」気持ちだったそうです。
恩納村のホテル勤務を得て那覇に移転。那覇でもホテル関係のスタッフとして雇用されました。正社員ではないのですが、職場の問題を発見したときに、これを黙認せずクビを覚悟で経営側に直訴しました。
本来の能力を発揮
その内容は詳しく説明できませんけれど、要はホテルのある部門において、お客様からの予約申込みに対して「すでに予約が入っています」と断っていた部門があるのです。午前中の予約の殆どがそうでした。実際は予約など入っていません。午前中、働きたくないスタッフたちが勝手に行っていた職務怠慢です。たとえバイトでも、経営者感覚でモノゴトを捉えるよしのさんには、これが我慢できませんでした。
結果、職務怠慢にかかわっていたスタッフたちは解雇され、よしのさんは残りました。しかも、よしのさんの能力に気づいた経営者側が、マネージメントスタッフとして取り組んで欲しいと要望したのです。
ところが、ちょうどその時期に、よしのさんの前歴を知る東京の知人からアメリカでの仕事の話が舞い込んできました。
東京での辛い記憶は遠い過去のものになりつつありました。沖縄での日々の暮らしのなかで、よしのさん本来の能力・向上心が目覚めるのを、まるで待っていたかのように届いた知らせでした。
世の中には、こういう不思議な偶然が起こります。
どんな傷もいつか癒える時が |
もういちどチャレンジしたい!
沖縄に残って気楽にやるか、新たな土地でより困難な仕事に取り組むか。悩んだよしのさんでしたが、やりがいのある仕事という人生の目標を見出し、アメリカ行きを決めました。「恋人もいないし身軽でしょ。彼氏がいたら行けないわよ」
笑いながら言うよしのさん♪ 彼女の今の顔には、沖縄にやってくる理由となった痕跡は残っていません。沖縄での3年間が彼女にとって癒しの時間になったのは確かです。
沖縄で恋人が出来なかった、いえ、そういう気持ちにならなかったことについては、もう少し時間がかかるかもしれませんが、きっと新たな出会いを得られるでしょう。
人間誰しも、生きていれば予期せぬ事態に遭遇することがあります。笑って乗り越えられる場合もあれば、耐えられないほどの痛みを背負ってしまうことだってある。
そんな人に、癒しの時間をくれるのが沖縄なのかも知れません。長い人生をずーっとガンバり続けるのもいいけれど、ちょっとぐらい休憩する時期があってもいいですよね?
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