沖縄の伝統芸能
【民俗芸能と宮廷芸能】華麗な琉球舞踊 |
14世紀から15世紀にかけて中国から三線が伝わると、これらの芸能は三線と共に演じられるようになりました。より洗練された形の宮廷芸能です。
沖縄独特の戯曲・組踊 |
宮廷芸能は琉球王朝時代、中国の冊封使をもてなすために踊られたのですが、それらが現在の古典舞踊や宮廷舞踊としての地位を獲得しています。日本の「能」を取り入れた「組踊」もあり、これらを総称して琉球舞踊と呼んでいます。
また、より庶民的な「雑踊り」や方言で演じられる「沖縄芝居」、若者達の勇壮なエイサーなど、幅広い「民俗舞踊」があります。
【島唄の世界】
以上の舞踊とともに、沖縄を代表する芸能として忘れてならないのが「島唄」(沖縄民謡)です。もともとは単に「うた」と言っていたのですが、薩摩侵攻以後、本土の「うた」と区別するために「琉歌」と呼ぶようになりました。この琉歌が三線の普及によって発展しました。その頃できた歌を「琉球古典音楽」と言います。
そして、三線の伴奏とともに庶民の間で広く広まったのが「島唄」です。現在の島唄の原形はこの頃に出来たといわれています。その特徴は「ドミファソシド」です。本土の民謡と違うのはミとシがフラット♭になっていることです。
この琉球音階は、バリ、ベトナム山岳部、インド東部、ミクロネシアなどの音階と同じだそうです。
なお、沖縄では今も島唄の新曲が毎月怒涛の勢いで生まれており、殆どの音楽ショップにはコーナーがあります。
三線を抜きにしては語れない沖縄の芸能文化 |
近頃は本土でも多くの方が三線をたしなむようになりました。14~15世紀に中国から伝わった三線は、琉球王府によって改善が加えられ、今の形になったといわれています。当時、琉球では首里王府内に「踊り奉行」が設けられるほど、芸能を奨励したそうです。
ともかく、終戦直後の荒廃した時期に、沖縄の人が何をおいても求めたのが三線だったそうです。アメリカのクッキー缶やパラシュートの紐を利用して作ったカンカラ三線は、材料が豊富に入手できるようになってからも、子ども達の手軽な練習用三線として受け継がれています。三線とは沖縄の心なのかもしれません。
■沖縄の概要 位置・面積・気候・人口・産業
■沖縄の自然 サンゴの島・独自の動植物・自然体験
■沖縄の歴史 琉球人・琉球王国・沖縄と日本・沖縄戦
■戦後の沖縄 アメリカ時代の沖縄・日本復帰から今日まで
■沖縄の文化 ニライカナイ・御獄信仰・祖先崇拝・沖縄方言
■沖縄の伝統芸能 民俗芸能と宮廷芸能・島唄の世界・三線
■沖縄の工芸と食 焼物・染め織物・琉球漆器・琉球ガラス・沖縄の食