戦後の沖縄
【アメリカ時代の沖縄】アメリカ生まれ沖縄育ちをキャッチコピーとするブルーシールアイスクリーム" |
アメリカ人に有利な法令や社会のなかで暮らしながらも、日本に統治されていた時代の沖縄とは比較にならないほど豊かなアメリカの食や文化があふれ返りました。当時の日本がアメリカ文化に魅了されたように沖縄でも同じことが起きています。
生きるために、基地の周りに町が発展していった |
1970年、米兵が起こした交通事故を憲兵が不当な事故処理をしたとして、抗議する人たちが集まり、これに憲兵が威嚇発砲したことから、たまっていた住民の不満が爆発、米軍車両に次々と放火、俗に言う「コザ暴動」が発生しました。
沖縄の人たちの自治権や人権がないがしろにされてきたことが、沖縄をして「祖国(日本)復帰運動」へと導いたのです。
【日本復帰から今日まで】
1972年5月15日、沖縄は念願の祖国復帰を果たしました。しかし沖縄県民が予測していた形の復帰ではありませんでした。当時、沖縄の復帰運動にかかわっていた人たちの希望は「アメリカの基地撤去」だったのです。
その代わりといってなんですが、日本政府は沖縄に対して「生かさず殺さず」のアメとムチ政策を推し進めてきました。日本の米軍基地の75%が集中する沖縄に、本土並みの社会・経済水準にするための「沖縄振興開発10年計画」(第1次~第3次)に着手、沖縄のインフラは飛躍的に進みました。
しかし、今もって県民所得は本土の約7割。失業率は全国2倍。その中で沖縄県は観光産業の育成とIT関連企業の誘致に務め、自立できる沖縄を目指して政策を進めています。
■沖縄の概要 位置・面積・気候・人口・産業
■沖縄の自然 サンゴの島・独自の動植物・自然体験
■沖縄の歴史 琉球人・琉球王国・沖縄と日本・沖縄戦
■戦後の沖縄 アメリカ時代の沖縄・日本復帰から今日まで
■沖縄の文化 ニライカナイ・御獄信仰・祖先崇拝・沖縄方言
■沖縄の伝統芸能 民俗芸能と宮廷芸能・島唄の世界・三線
■沖縄の工芸と食 焼物・染め織物・琉球漆器・琉球ガラス・沖縄の食