いろいろな移住者を見てきましたが、素直に「エラい!」と感心してしまったのがこの方。九州の地方都市から家族で移住してきた野原さん(仮名・36歳)。お子さんは中学生と小学生です。
1ヵ月半続いた全滅の日々
野原さんの希望職種は運転手でした。運転のプロであり、関連免許を全て持っています。野原さんファミリーの計画は、まず、ご主人が職を決めて家を探し、次に奥様と子ども達が引っ越し準備を整えてやってくるというストーリー。しかし彼らは、これまで沖縄に一度も来た事がありません。あまりにも無謀だわ……。そう思った沖縄ガイドですが、結果は家族のために頑張った野原さんの粘り勝ちとなりました。
先発としてやってきた野原さんの滞在先は先に紹介した山本さんと同じくゲストハウス。1ヶ月の滞在費が3~4万円で済んでしまいます。
野原さんは、履歴書を何通も持ち、職安から紹介された会社を廻りました。1日平均5~6件です。それらは、ほぼ全滅でした。職業上必須の沖縄の地理や道、そして簡単な方言すら理解できない人間を雇ってくれる所は無かったのです。
今日もダメだったよ
夕方になると、がっくりと肩を落として戻ってくる。これが野原さんの沖縄での日課となりました。普通なら、1週間もこんな目に遇ったら自尊心ガタガタで移住すること自体を諦めてしまうはず。野原さんがガンバり通すことができたのは、滞在中に知り合った先輩移住者たちの励ましと、九州で待つ家族の期待でした。もし、野原さんにグチをこぼす相手がいなかったら、ここまで続いただろうか。そう思っています。
そして1ヶ月半、ある会社が野原さんのガンバリを認めてくれました。その分野の地元企業としては大手です。「道は仕事をしながら覚えたらいいさー」「方言もそのうち慣れるさー」の社長の一言で無事就職。提示された給与は、九州で貰っていた金額とほぼ同じでした。
苦労の末に家族が再開
いよいよ家探しです。古くても一軒屋がいいということで、これまた難航しましたが、間取りは少々悪いながらも沖縄市に3万円の貸家を見つけました。不便なところは日曜大工で補おうというわけです。やきもきしながら朗報を待ちつづけた奥様と子どもたちが九州から到着した日、野原さんはご機嫌でした。なにしろ、久しぶりの再開です。ついに、野原さんファミリーの沖縄生活が始まりました。
あれから1年。彼らの沖縄暮らしは順調です。子ども達もすっかり学校に慣れました。友だちと遊ぶときには方言も飛び出すようになりました。奥様はといえば、どうも、沖縄出身の「オレンジレンジ」の追っかけをやっているらしいです(笑)。
若いとき、バンドのベーシストだった野原さんもまた、沖縄市をすっかり気にいっています。なにしろ沖縄市は音楽の本場♪ アマチュアバンドの若者たちを支援しつつ「オレももう一度バンドやろうかな~」なんて、青春しています。
なんとなく沖縄がいいねと…
野原さんファミリーの沖縄移住の理由は単純です。テレビで見た南の島の生活ぶりに「沖縄で暮らすのもいいなぁ~」と思ったのがきっかけでした。以後、沖縄移住に関する本やテレビの特集を見るたびに「沖縄」への想いが募り、奥様や子どもたちにも「沖縄行きたい」病が感染してしまいました。いつのまにか具体的な移住計画が始まり「まずはお父さんが!」となった次第。
踏み切れたのは、ゲストハウスの存在が大きかったそうです。車輸送を含めた移転費用や住居の賃貸契約など、家族で移住となると費用がかかってしまいます。まして上のお姉ちゃんは中学生になったばかり。制服なども一から揃えなければなりません。格安で滞在できれば、少々時間がかかっても安心して求職活動を行えます。
野原さんの住んでいた地域は、九州の地方都市とはいえ「沖縄市よりも田舎」だそうです。地域自体に発展性がなく、このままの生活を続けても「見えてくるものがない」と感じていたそうです。その点も、沖縄移住に踏み切る動機につながったようです。
【沖縄ガイドの個人的感想】
沖縄のイメージに憧れて移住しようとする野原さんが、毎日の面接で「また断られたよ…」と肩を落とすのを見てこの職種では無理かなぁと思った私ですが、本気で取り組めば何とかなるものですね。やる気を認めてくれる沖縄の会社もあるんです♪
■「沖縄移住を成功させる方法」に戻る