今から10年前、当時琉球大学の学生で沖縄市美里地区出身の幸喜新さんは、美里花織とも呼ばれていた織物の存在を知り、3年後、「旧美里村における経浮花織(たてうきはなおり)技法の調査・研究および復元」を修士論文のテーマにして調査研究を行ないました。
幸喜さんは、土地の古老に話を聞きながら、大事にしまわれていた知花花織を探し出すなどの地道な調査・研究を行ない、その結果、優れた技術力に裏付けられた美しい織物が百年後、再び蘇ったのです。
「花織」とは、平織の中で糸を浮かせることで柄を出す織物のことです。
沖縄の花織には「読谷山花織」「首里花織」「与那国花織」などがありますが、知花花織の特徴は経糸(たていと)が浮いて柄を浮かび上がらせる特別な織り方だそうです。
しかも知花花織は、同じ模様の連続ではなく、自由に模様を変化させながら織られています。
沖縄の染織物の多くは、琉球時代、首里王府の厳しい制約下で作られていましたが、知花花織は自分達のための衣装として作られていたため、織り手の感性がそのまま反映されていたのです。
現在、幸喜さんは5年前に設けられた「知花花織復元作業所」(沖縄市知花)において、花織の継承に務めています。
これまでに約20人の方が知花花織復元作業所での研修を終了しました。同作業所に事務所を置く「知花花織研究会」では、後継者育成制度、技術指導体制の強化、知花花織ブランドの製品開発、各工房制の導入などに向けて具体的な展開計画を進めています。
また、沖縄市では同作業所を核として、陶芸、小木工、竹細工、ガラス、紅型など、工芸産業の振興・育成を図ることを目的とした「工芸による街づくり事業」を実施しています。
知花花織だけでなく、地域の工芸品には作り手の想いがそれぞれに込められています。人の営みの基本は「手仕事」にあるんですね。
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