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沖縄の歴史とグスク(城)(2ページ目)

沖縄(琉球)には大小合わせて400以上ものグスク(城)があるとか。しかも石垣造りのグスクが誕生したのは本土(日本)より200年も早い。グスクの歴史から琉球文化の成り立ちを考えてみました。

執筆者:鈴木 雅子

■グスクから見た琉球文化

グスクが形成されるようになる以前から、琉球と中国、東南アジア、あるいは日本との交流から多くの刺激がもたらされていたはずです。琉球に住みついた人たちもいれば、この島から出ていった人たちもいたことでしょう。

12世紀はじめ、中国では北方民族(金)の南下による圧迫がはじまり、さらには南宋の建国、商業の発達という時代を迎えました。また、12世紀中頃の日本では、平氏政権と南宋との活発な貿易時代を迎えて、さらに13世紀末になると南宋が滅亡、北方民族の元による中国支配が始まります。こうした変化が琉球にも様々な影響をもたらしたものと思われます。

それを証明するのが13世紀から14世紀にかけて定住した人たちの存在です。1265年、禅鑑が仏教を伝えて浦添に極楽寺を開設しました。1368年には頼重が那覇に護国寺を開設しています。そして1392年には多くの中国人が琉球に帰化し、36の姓を名乗りました。

沖縄には門中(むんちゅう)があります。本土の「本家」とほとんど同じですが、一族のまつりごとなどは、門中にあたる家が中心になって行います。

門中は、韓国の族譜と似た部分があります。族譜には一族の始祖誕生から今にいたるまでの家系図が連綿とつづられており、どんなに血が遠くなっても、それどころか互いに初対面であっても族譜が同じ系統だと分かると、そのとたん「身内」として遇します。

日本では、地方はともかく一般的には「3代先は他人」というほど血のつながりを重要視しなくなっています。しかし、こと沖縄に関しては門中を中心とした先祖崇拝が濃厚に残り、ひとつの文化を形成しているように思います。

この門中ですが、中国から渡来した人たちを祖先に持つ姓も結構あります。

先の対戦で貴重な資料が多く失われたことから、琉球の歴史文化は先史時代も含めて解明されていない部分が多いんですね。でも、グスク跡の発掘調査を見ますと、次のような段階を踏んで琉球文化が形成されたと推測できます。

★10~11世紀

ゆっくりとながらも地域(血族や部族)のなかに階級が芽生え始めた。

★12世紀頃
小集団(部族)ごとに石垣のない小さなグスク(聖域説・集落説)が造られるようになる

★13世紀末~14世紀初め頃
より有力な者が野面積みの石垣を持つグスクを造り勢力を競うようになる。その中からより強い者が城壁を切石積みで強固に整備し拡大させた。

★14世紀中頃
こうして発展した3つの勢力(三山)の争いが激しくなり、彼らが勢力を拡大発展させる過程で大規模なグスクが登場した。

★14世紀後半
三山の各王は、それぞれ独自に中国と進貢貿易を行い、各自の権利・利益を拡大、あるいは守るため、さらに軍事力増強を強めた。

★15世紀初め
ついに中山が琉球統一を果たす。相方積みの石垣やアーチ式門を持つ近代的なグスクが登場したのは、その前後である。

沖縄のグスクを見学されるにあたっては、本土と違う歴史を歩んできた琉球を理解された上での鑑賞をオススメします。

グスクの城壁には、鉄砲を撃つための小さな窓が開けられているなど、学術的な立証はされていませんけれど、種子島よりも早く鉄砲が伝わっていた痕跡も残っています。

※この記事の解釈は、あくまでもガイドの個人的な感想であり、公的なものではありません。


●沖縄の世界遺産 全9カ所をまわろう

「日本の多様性としての沖縄--歴史・文化の視点から」
≪琉球大学高良倉吉教授の外務省講演≫



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