山谷は日本経済・日本社会の縮図
福田屋チェーンの「ビジネスホテル七福」(右は部屋の写真)は、一泊ナント2,200円! こちらは、男性専用ですが、おそらく東京でも最安値の宿と言ってもよいでしょう。
しかし、山谷が変わってきた背景には素直に喜べない社会事情もあります。
江戸時代から、日光街道・奥州街道の最初の宿場町として、多くの木賃宿や隣町には「吉原」のような花街を抱え、栄えた山谷。戦後、多くの出稼ぎ労働者の宿となりましたが、彼らはどこに消えたのでしょうか。日雇いの現場作業の仕事は急減し、近くの河原や公園に青いテントを張って寝るホームレスが増えていることが、その答えを物語っているとしたら・・・。
昔ながらの木造宿は、今ではNPOの運営する「自立支援施設(グループホーム)」として生まれ変わってきています。(写真右)
大手企業の出張族が、なけなしの出張旅費を節約するのにちょうどいい宿が生まれたのは歓迎すべきかもしれませんが、日本経済の変容を目の当たりにすることのできる街として「山谷」をみつめてみるのも良いと思います。
W杯が終わり、サポーターの喧騒が消えた「山谷」。
あなたも一度は訪れてみませんか。
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