表書きに困ったら、お祝いごとは「御祝」。不祝儀は「御霊前」としておけば失敗はありません。 |
現金とギフト券か迷ったら
現金かギフト券か悩む場合ってありますよね。以前は現金や金額がわかる商品券では、ストレートに伝わりすぎて、かえって相手を低く見るようで避けられていました。また現金だと、生々しさがあり、いやだと言う方もおられます。
デパートなどの共通商品券など、各種ギフトカードでしたら少しは生々しさが薄れる感じがします。テレホンカード全盛期には、よく謝礼でガイドも頂きました。現在はプリペイドカード、優待券なども豊富に流れています。相手とのお付き合いの程度にもよりますが、マナー本など気にせずに、本当に欲しいものに使ってもらいたいと思うなら、やはり現金かしら?!
ガイドの知人の子供にお祝いとして、「学校の学習に役立てる本を買ってね」と図書カードを贈ったら、その子供に「勉強でないとだめなんや。雑誌に使いたかったのに」と思わずひんしゅくをかいました。そんなつもりはなかったのに・・・。
また「デパートなどの共通商品券を頂いたけれど、使い道がないままタンスの中に眠っているわ」とおっしゃる老夫婦。このように現金とギフトカード、どちらを贈っても難しいものです。
金額の目安と相場
1940年(昭和15年)国民精神総動員中央連盟(日中前面戦争勃発直後、結成されました)が国民生活の画一化、「平準化」「平等化」というファシズム幻想の一環を決定して、全国民に呼びかけました。戦後になって、急成長した結婚や葬儀のプロデュース業が、相場としての目安に一般化したのでしょう。
実際、冠婚葬祭においてのお祝い事のご祝儀、目安がわからなければ不安になります。同年代でもお給料が違うのですから、本来はその家庭で出せる範囲のご祝儀でいいのです。しかし「人並みでないと、あとで恥ずかしい思いをするのはいやだ」「マナーを知らなさすぎると非難を浴びるのが怖い」と考えてしまいます。よく考えるとおかしな話です。
冠婚葬祭のしきたりにおいて、戦前は地域社会のつながりの中で、窮屈な決まりごとがたくさんあったけれど、マニュアル本がないぶん、その家々で、出来る範囲のことをすればよかった時代。常識がある程度外れていなかったら自由さはあったと思います。
戦後は、「こういうもの」「こうするもの」と一般化されたマナー本が出現。親から子供へ受け継ぐものであった冠婚葬祭のしきたりが、マニュアル本で学ぶようになったのです。
そこには目安と言う便利なものがあると同時に、それ以外では許されない不自由さが存在してしまったのです。
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