防災/防災関連情報

【防災豆知識】防災の日の由来 関東大地震と防災の日(2ページ目)

9月1日の『防災の日』は、全国各地で地震などによる大規模災害を想定し、防災訓練が開催される日。「関東大地震」を振り返りながら『防災の日の由来』についてご紹介します。

執筆者:荒井 健一

発生した時間帯が火の使用の多い昼食時だったということと、『二百十日』という厄日が重なり、火災による二時被害が拡大しました。もちろん、「二百十日」だけが原因ではなく、火災により発生した熱が上空の冷気と混じり合った『火災旋風』なども影響したようです。3万数千人の犠牲者が出た、東京・本所の陸軍被服廠跡での火災などの大きな被害は、『火災旋風』と、『二百十日の台風』により、さらに大きな火災となってしまったのです。

その当時、10m/s以上の風が延焼を助長し、東京での出火個所は134個所に及び、消火の出来た57個所を除き77個所は、9月3日に鎮火するまでに3800haを焼き尽くし、横浜でも1000haが焼失しました《1ha=10,000m2(100×100m)》。地震そのものによる被害より、火災による二次被害での延焼が、首都圏をほぼ壊滅状態に陥らせ、都市機能、政治的混乱を与えました。

そして、もう一つの災害、三次被害ともいえるデマが横行しました。経験した事のないほどの「大地震」「火災」によって、正常な判断が出来なくなった人々はこれを信じ、多くの悲惨な殺人事件が発生しました。現代に置き換えて考えてみても、災害時の情報入手は例えマスコミでも正しいとは限りません。十分な情報が入手できないのは、被災者だけではないのです。みんなが被災者なのですから。一人一人による冷静な判断は重要です。

関東大地震で亡くなった方の90パーセントは焼死でしたが、気象庁が史上初の震度7と判断した、『阪神淡路大震災』では、亡くなった方の死因はほとんどが圧死でした。焼死者は約10パーセントと、『関東大地震』とは正反対の被害となりました。「地震だ 火を消せ」という、延焼災害の教訓が活かされたのではないでしょうか。

昭和35年(1960)年6月11日の閣議で、9月1日を防災の日 とすることが了解されたことで『防災の日』が始まりました。

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