3時間以上の面接をクリアして犬と対面
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一見、どこにでもいそうな犬ですが、じつはドッグショーでも 見ることはできないジャーマンピンシャー |
家庭犬トレーナーの会社
「DOGSHIP」キャプテンの須崎大さんが、待望のジャーマンピンシャーを米国から連れ帰られたと聞いて、会いに行ってきました。
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飼い主ともども雑誌から抜け出てきたような
カッコよさ
CLASKAのカフェ「The Lobby」で待っていますと、来た来た、幼齢期のドーベルマン?いや大型のミニチュアピンシャー?そのどちらにも見え、どちらでもないジャーマンピンシャーのファイド(FIDO)くんが颯爽と現れました。
ファイドくんは04年の12月21日、アメリカはメリーランド州生まれ。須崎さんは、以前の相棒だったイングリッシュコッカーを亡くしてから数年、自分の犬とは暮らしていませんでしたが、仕事で訪れたNYで出会った友人のジャーマンピンシャーに魅せられてしまい、ブリーダーを紹介してもらってようやく意中の男の子にめぐり会ったそうです。
どうして男の子に固執したかというと…
「犬と暮らし始めれば、家の中にひとつの縦社会が生まれることになりますね。するとリーダーである僕に対して犬は常に注目し、動向を意識することになる。そんな時その子がもし女の子だったら、僕はきっと『どうしたの?なんでもないよ」と話しかけてしまうと思うんです。それでは縦社会が崩れてしまうし、なにより同じ部屋に暮らしていて気疲れしてしまう。その子が見ていようがいまいが堂々と生活できるようにするには、今の僕には男の子の方が適していると思ったわけですね。
それで、メリーランドのブリーダーさんの犬舎でちょうど男の子が生まれていると聞いて、喜び勇んで出かけたんです。だけどこれがすごく厳しいブリーダーで、面接は3回。最初は職業は?飼育方法は?安定した収入があるか?どんなトレーニング方式をとっているのか?など3時間以上にもわたって審査されました」(須崎さん)
教室での自分の理論を身をもって実践
ところが、ようやく受け入れてもらえたものの、折悪しく日本の動物検疫制度が変わって、狂犬病発生国からは10カ月未満の犬が輸入できないことに!さあ大変、方法としては狂犬病のない国でもう一度ジャーマンピンシャーを探すか、自分がアメリカに移住して連れ帰れる11カ月齢まで待つかしかない。そこで須崎さんが取ったのは、後者の「移住」という選択でした。
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すぐに旧知の間柄のようにフレンドリーに。さすがトレーナーの犬 |
「DOGSHIPの方は成長著しいスタッフたちにまかせて、僕は海外から舵を取ることにしました。自分はパピー教室を開いて、そこでは生後半年前後までの「刷り込みと社会化」が大切と言っているのに、自分の犬にはそれをしなかったというのでは有言不実行になっちゃいますから、ここはひとつ身をもってそれを実践しようと。
そこでNYと以前トレーニングを学んだバンクーバーで、再度勉強をしながら本の執筆もし、ファイドを東京での生活になじめる犬に育てあげていくことにしました」(須崎さん)
続いてアメリカでの苦労談を!