山犬・早太郎
第 二 幕 信濃の早太郎は来るまいの? |
和尚さんは、あまりに突拍子もない話に驚きましたが、すぐに思い直して早太郎を呼び、子どもに聞かせるように、一部始終を話してやりました。
「どうじゃ、おまえ、行ってくれるか?」
早太郎は、耳を垂れ、尻尾を振って、和尚さんの顔をじっと見つめます。和尚さんには、それが「はい、まいりましょう」と言っているように見えました。
「早太郎は、行くと言っております。お役に立てるかどうかはわかりませぬが、どうぞお連れくだされ」
社僧は躍りあがって喜び、御礼もそこそこに、早太郎を連れて遠江の国に向け旅立ちました。秋祭りの日まで、もう何日もありません。ふたりは寝る間も惜しんで歩きつづけました。そうして、ようやく村にたどり着いたのは、きょうが祭りという日の朝です。村では、いけにえのむすめも決まり、家人たちが嘆き悲しんでおりました。
「危ないところであった」
社僧は、驚く家人たちに、ことの次第をすべて話して聞かせました。
「この犬こそが、化け物たちのおそれている早太郎じゃ。早太郎、しかと頼んだぞ」
早太郎は、凛とした表情で社僧を見上げると、力強く尾を振りました。
やがて祭りの準備がととのい、むすめのかわりに早太郎が入れられた唐びつが、しずしずと社前に運ばれました。社僧をはじめ幾人かの村人たちは、木陰にひそみ、息を殺して丑三つを待ちます。夜が更け、丑三つが近づくと、例によって生臭い風とともに、昨年と同じ化け物たちがお宮の扉をきしませながら出てきて、唐びつのまわりで踊りはじめました。
「今夜も、信濃の早太郎は来るまいのう?」
いっとう大きな化け物が聞くと、何も知らない二匹の化け物たちは、
「来ない来ない、だいじょうぶだあ!」
と、答えて言いました。
三匹の化け物は、喜びの雄叫びをあげながら唐びつに飛びつき、バリバリとふたを打ち破りました。そのとき……猛然と躍り出てきたのは、村むすめではなく、大きな犬です。
「ぎゃっ、おまえはもしや……」
化け物たちが逃げる間もなく、早太郎はかれらに噛みつき、猛烈な勢いで振り回しました。そのたたかいは、見るもおそろしく、化け物たちの叫び声は深い山の奥まで響きわたりました。木陰にかくれて様子をうかがっていた村人たちは、生きた心地がせず、ただ神仏に祈るばかりです。
しかし、どんな激しいたたかいにも、おわりはやってきます。化け物たちの叫び声は徐々に小さくなり、やがて途絶えて、深山はもとの静寂を取り戻しました。夜が明けたのか、あたりは白々と明るさを増してきました。
そこに倒れていたのは、三匹の大きなみにくいヒヒです。銀の針を植えたような毛深い皮膚、鋼のような鋭い爪、真っ赤な口は耳まで裂けて、それはそれはおそろしい姿でした。
「こやつが……こやつが、わしの大事なむすめを喰らいおったのか!」
昨年の秋祭りにむすめを人身御供にされた村人が、泣きくずれました。
「わしらは、こんな化け物を、神さまとして祀っておったのか……」
村人たちの、驚きと悔悟はつきません。そのとき、社僧の声が響きわたりました。
「早太郎は? 早太郎がおらぬ、みなの衆、早太郎を探してくれ!」
村人たちは、総出で早太郎の名を呼びましたが、その姿はどこにも見えず、ただ一筋の血が、まっすぐ信濃に向かってつづいておりました。
早太郎は、深手の傷を負ったまま、もときた道をたどって信濃に向かったのです。そして、数日かけて光前寺にたどり着くと、大きくワンと吠えて和尚さんを呼びだし、和尚さんが顔を見せると、安心したのかそのまま息絶えました。
和尚さんは、早太郎のなきがらを抱くと、涙を流し、手あつく葬ってやったそうです。
「山犬・早太郎」のお話、いかがでしたでしょうか?
一宿一飯の恩義というか、忠誠心をけっして忘れない早太郎が、命の危険もかえりみず化け物退治におもむくという話は、むかしから「人と犬との絆」が確固たるものとして信じられていたことを知らしめてくれます。
それにしても、うちの犬の忠誠心はどこに行ったんでしょうね?
※下敷きにさせていただいたのは、大川悦生さんの『日本の伝説』(坪田譲治編 偕成社文庫)です。犬以外のお話もたくさん掲載されていますので、ぜひご一読ください。
●これまでにご紹介した「古典や民話に見る犬のお話」は↓
○国分寺の犬
○犬はどうして人のペットになった
○飼い主を助けた忠犬シロ!
○ねこまた