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山犬・早太郎

3月に再開した不定期シリーズ「古典に見る犬の話」です。例によって日本の古典や民話集からひろった、犬にまつわるおもしろ話をご紹介していこうというこの企画。今回の舞台は長野県です。お楽しみください。

執筆者:坂本 光里

今回は、長野県に伝わる犬にまつわる民話一編をご紹介いたします。時代は600年あまり前、正和という元号の頃のお話です。
今回は犬が「恩返し」に化け物とたたかうという民話。いつの時代にも、こうした一宿一飯の恩義を重んじる動物が主役の寓話はありますが、今回はちょっとシュールな結末になっています。

山犬・早太郎


  第 一 幕 
 遠い国からの旅人 

 むかしむかし、上伊那の宮田村にひとりの旅人がやってきました。
旅人はどこかそわそわした様子で、あたりを見まわしていましたが、そのうち一軒の茶店に目をとめ、中に向かって声をかけました。
 「ごめん。このあたりに早太郎という人がいると聞いてきたのだが、ご存じなかろうか?」
 茶店の婆さんは、お茶を出しながら言いました。
 「早太郎? さて、聞かないねえ」
 「そうか、知らぬか……」
 旅人はため息をつきながら、受け取ったお茶をすすり、目の前にそびえる駒ヶ岳に目をやりました。その様子は、切羽詰まった感じにも見えます。すると、茶店のはじっこでお茶をすすっていたお百姓さんが、まるで独り言のように言いました。
 「光前寺にいる犬の名前がたしか早太郎だったと思うが、犬じゃあねえだよな」
 「犬? たしかにその犬は早太郎という名なのか?」
 旅人は、ぽんと膝を打って乗り出すと、
 「ど、どんな犬なのか、教えてもらえまいか?」
 それは、かなり真剣な様子でした。
 お百姓さんは、言いました。
 「聞いた話じゃけど、駒ヶ岳に住む山犬が下りてきて、光前寺の縁の下で五匹の子犬を産んだそうな。そうしたら、そこの和尚さまが心の広いお方で、食べ物を与えたり、赤飯を炊いてやったりして、面倒を見てやったんじゃと。
 そうこうするうちに、子犬たちは大きくなって、みんなかわいらしくなってきたんで、和尚さまが母犬に『どうじゃ、わしに一匹ゆずってくれんかの?』と言ったところ、ある日、母犬は一匹だけをお寺に残しておらんようになった。山へ帰ったんじゃろう。犬っちゅうもんは、人の言葉がわかるそうじゃで。その一匹残された犬が早太郎ということじゃ」
 旅人の目は、真剣そのものになりました。
 「山犬の子なら、さぞ強かろうの?」
 「強いのなんのって、早太郎なら猪でも噛み殺すじゃろうて、みなが言うとる。じゃけど、ふだんはおとなしうて、和尚さんはうんとかわいがっていなさるそうな」
 「そうか、間違いない。それが早太郎じゃ!」
 旅人は深くうなづいて立ち上がると、その足で光前寺に向かいました。

 「もうし、わたくしは遠江の国(いまの静岡県)は府中の天満宮につかえる社僧にござります。和尚さまにお願いがござって、まいりました」
 旅人が名乗ると、和尚さんが出てきて言いました。
 「さて、天満宮から? どのような御用向きかな?」
 和尚さんの姿を見ると、やつれた様子の旅人は言いました。
 「ここに早太郎という名の犬がいるとお聞きしたのですが、その犬をしばらくお貸し願えませぬでしょうか?」
 「これは異なことを……早太郎をなにゆえに?」
 「それですが……」

 旅人が語るには、つぎのような話でした。
 いつの頃からか、府中の天満宮には、秋祭りに若い生娘を人身御供として神仏にそなえるという無体な習わしがありました。もし人身御供をそなえなければ、夜明けまでに田畑が荒らされ、年端のいかない子どもがさらわれたりするというのです。
 そんなことから、秋祭りの日が近づくと、年頃のむすめを持つ家では生きた心地がせず、ひたすら自分のむすめが人身御供に選ばれないことを、祈りつづけるのでした。
 そして、昨年もやはり、ひとりのむすめが人身御供に選ばれました。むすめの親たちは泣いて頼みましたが聞き入れてはもらえません。むすめは唐びつに入れられ、社前にそなえられたのです。村人たちは、いちようにひれ伏して、来年のみのりがよいよう、悪い病いが流行らないよう、懸命に祈りました。

 旅人、つまり社僧も村人とともに祈りをささげておりましたが、ふと、どうして毎年こんな馬鹿げたことを繰り返しているのだろうという思いにとらわれたのです。人をとって喰うような神さまがいるものだろうか? 一度そう思いはじめると、矢も楯もたまりません。社僧は村人たちが立ち去るのを待って、かたわらの大木によじ登り、どんな神さまが現れるのか、見きわめることにしました。
 やがて夜も更け、丑三つ(午前二時頃)を過ぎて、あたりが静まり返ってきました。かがり火だけが、煌々と境内を照らしつづけています。と、そのとき、にわかに生臭い風が吹いたかと思うと、天満宮の重い扉がギ、ギィ~と音を立てて開きました。
 そこから躍りだした化け物は三匹です。
 長い髪を振り乱し、目は置き炭のように真っ赤。それが唐びつのまわりを、うれしそうに踊り狂うではありませんか。そのうちひときわ大きな化け物が、踊るのをやめると、
 「今夜、信濃の早太郎が来ることはなかろうの?」
 と、言いました。すると、残る二匹の化け物が口をそろえて、
 「だいじょうぶ、だあ~」
 と、答えました。大きな化け物は、それを聞くと躍りあがって喜び、唐びつを打ち壊して、泣き叫ぶむすめをさらうと、お宮の中へ姿を消しました。ほかの二匹もこれに続き、扉はギギ、ギイッと音をたてて閉ざされたのです。
 そのおそろしさと言ったら、言葉にしようもありません。社僧は気を失わんばかりでしたが、どうにかとどまり、夜明けを待って木から這い下りました。
 この化け物を退治するには、信濃の国の早太郎を探しだし、お願いするしかない。そう思った社僧は、その足ですぐ遠江を発ち、信濃に向かいました。しかし、一口に信濃の国といってもそうとうに広い。山を越え、谷を越え、足を棒にして歩いても、早太郎の手がかりはつかめません。冬が過ぎ、春が過ぎ、夏のおわりになっても、早太郎のうわさすら聞くことができず、途方に暮れていたところに、犬の早太郎のことを耳にしたというわけです。
 「宮田の村で、光前寺に早太郎という名の犬がいると聞き、化け物たちがおそれていたのは、きっとその犬のことだと思いいたって、駆けつけた次第です。どうか、早太郎をしばらくお貸しいただけませぬか? ほどなく秋祭りの日がやってまいります。このままでは、また罪のないむすめがひとり、化け物たちに食い殺されてしまうのです」
 旅人の社僧は、涙を目に浮かべて懇願しました。その顔は日に焼け、風雨と雪にさらされて、長旅の苦労が焼き付いておりました。

さても愛犬を化け物退治に貸せという見ず知らずの旅人の登場。聞けば遠い静岡から山を越えて早太郎をたずねてきたとのことです。
あなたならどうする? え?そもそもうちの犬はそんな化け物を見たら、飛んで逃げ帰ってくるって?
しかし早太郎は山犬の子。山で暮らす野生の犬は、そうとうの試練に耐えられるはずです。和尚さんは、そのことを知っていました。

-->>続きまして、第二幕のはじまりはじまり----。

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