絹の歴史を世界遺産に!富岡製糸場

2014年5月現在、日本国内にある世界遺産は17ヶ所。今後も暫定リストに記載された箇所の中から国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会に対して登録推薦が引き続き行われていきます。

今回は世界遺産暫定リストに記載されている場所の中から、群馬県にある富岡製糸場をご紹介します。明治時代、日本からの輸出品の要となった生糸を大量生産するために作られた工場は、115年間にわたる操業を停止した後も、絹産業の歴史を未来に伝えていくための中心的な存在として、大事に保存されています。
(取材協力:2009年1月/群馬県富岡市 教育委員会 世界遺産推進課)

 

明治・大正・昭和と生糸を作り続けた富岡製糸場

富岡製糸場(1)/正門

富岡製糸場の正門。正面にあるのは東繭倉庫。工場が操業した明治時代の建物がそのまま残っています(2009年1月撮影)

富岡製糸場Yahoo! 地図情報)は、群馬県の南西部、富岡市にあります。明治政府が高品質の生糸を大量に作るための工場として1872年(明治5年)に造られました。

 

富岡製糸場(2)/東繭倉庫のアーチにある「明治五年」の文字

東繭倉庫の中央にあるアーチに刻み込まれた「明治五年」の文字(2009年1月撮影)

鎖国制度が崩壊した後、本格化した諸外国との貿易において日本の重要な輸出品となった生糸。海外から高い評価を受けた日本の生糸は、需要が日々高まるものの良質な生糸の生産が追いつかないという事態に陥ります。

この事態を打開すべく、明治政府は日本の近代化政策の一環として器械製糸工場を造り、高品質の生糸を大量生産できる体制を整えることを考えました。

この施策に基づき、昔から養蚕が盛んで生糸の生産に必要となる水や燃料の石炭の確保がしやすいなどの種々の条件を満たした富岡の地に、官営富岡製糸場が造られます。まさに日本の工業化の一歩を記した場所と言えますね。

 

富岡製糸場(3)/東繭倉庫

100メートル強の長さを誇る赤レンガ造りの建物、東繭倉庫(2009年1月撮影)

官営製糸場として設立した富岡製糸場は、1893年(明治26年)に三井財閥(当時は三井家)へ払い下げられて三井富岡製糸場となります。

その後、絹の貿易や製糸業で財をなした原富太郎氏(横浜・本牧の三渓園を造った人)が経営する原合名会社に移譲、第二次世界大戦前の1939年(昭和14年)には片倉工業(当時は片倉製糸紡績)の工場と経営主体が変わるものの、一貫して生糸を作り続けていました。

 

富岡製糸場(4)/東繭倉庫のサイドビュー

東繭倉庫のサイドビュー。操業停止後も大事に保存されてきた富岡製糸場は、世界遺産登録を心待ちにしています(2009年1月撮影)

明治から大正・昭和に渡って生糸を作り続けてきた富岡製糸場ですが、時代の流れに逆らうことはできず、1987年(昭和62年)を持って操業を停止、115年間の歴史にピリオドを打ちました。

操業停止後も、富岡製糸場内の建物は片倉工業の手によって大切に保全作業が行われ、操業停止から18年後の2005年(平成17年)、富岡製糸場は日本の工業近代化に関する遺産として国の史跡の指定を受けます。

続いて世界遺産登録への機運が盛り上がり、2006年に富岡製糸場と群馬県内に点在する絹産業に関する9つの資産をまとめて「富岡製糸場と絹産業遺産群」という名称で世界遺産暫定リストへの申請を行い、2007年に世界遺産暫定リストへの記載が決まります。

そして2012年には世界遺産への推薦が決まり、2013年には富岡製糸場以外の絹産業に関する資産を3つに絞り込んだ形で、文化庁からユネスコへ推薦書を提出した所まで来ており、2014年6月の世界遺産委員会で登録の可否が決定します。