今回の行き先は、【青森】 城と洋館の競演、弘前の街を歩く |
青森県内では青森、八戸に続いて3番目に人口の多い街、弘前は、日本の伝統文化の結晶とも言うべき城と教会建築をはじめとする多数の洋館が共存しています。こんな特徴を持つ街は日本国内ではとても貴重な存在です。
今回は、街を歩くだけで城も洋館めぐりも楽しむことができる弘前(Yahoo! 地図情報)をご紹介します。
斜陽館の棟梁の手による百年以上前の銀行
青森銀行記念館。青森銀行の母体となった旧第五十九銀行の本店として1904年(明治37年)に建てられました(2003年5月撮影) |
青森銀行記念館は、明治時代に青森県で初めての銀行として誕生した国立第五十九銀行の本店の建物。津軽の名所の一つでもある作家、太宰治の生家として知られる金木(かなぎ)の斜陽館を建てた弘前の棟梁、堀江佐吉の手によるものです。
第五十九銀行が1943年(昭和18年)に他行と合併して青森銀行となった後は、弘前支店として活用されましたが、1965年(昭和40年)に保存のため、現在の場所に移転しました。
木造ルネッサンス様式の建築ということで、今では貴重な建物として国の重要文化財に指定されています。
一目見ると忘れない八角形ドームの洋館
追手門広場にある洋館の1つ、旧東奥義塾外人教師館(2003年3月撮影) |
一つは旧東奥(とうおう)義塾外人教師館。青森県初の私学校として開校した東奥義塾の外国人宣教師の住居として、1901年(明治34年)に建てられたものです。大きな窓が印象に残る落ち着いた雰囲気の建物ですね。
追手門広場は元々東奥義塾高校のあった場所で、1990年(平成2年)に弘前市制100周年の記念事業として、弘前の観光拠点とすべく整備されました。外人教師館はこの時にここに移設されて今に至っています。
こちらも追手門広場にある洋館、旧弘前市立図書館。一目見ると忘れないくらい印象に残る建物です(2003年3月撮影) |
1931年(昭和6年)までの25年間、市立図書館として使われました。旧東奥義塾外人教師館と同様に1990年(平成2年)に追手門広場に移設されています。
建物の左右は八角形となっていて赤いドーム屋根も含めて、一目見ると忘れないくらい印象に残る洋館ですね。
次は、弘前市街に残る教会建築を巡ってみましょう。次ページに続きます。