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1600年に及ぶ交流のまち・生野コリアタウン

西暦5世紀頃の大阪は「難波津」と呼ばれた国際港で多くの渡来人が往来しました。その舞台・猪飼野は現在、日本最大のコリアタウンとなっています。1600年の歴史を持つ日韓交流のまち・生野をご紹介しましょう!

執筆者:陸奥 賢

大阪のまちをぶらぶらと歩きながら楽しもう!と前回のガイド記事1800年の歴史を誇るまち住吉を歩くをご紹介しましたが、今回は日本最大のコリアタウン「生野コリアタウン」こと「猪飼野」(いかいの)をご紹介しましょう。

生野コリアタウン(御幸通商店街)にて。韓国・済州島の守り神「トルハルバン」です。
西暦5世紀頃の大阪は「難波津」と呼ばれた国際港で、数多くの渡来人が往来しました。中には日本人が見たことがなかった「猪」(豚のことです)を飼う集団がいて、それが「猪甘部」(いかいべ)と呼ばれ、地名の由来となりました。大陸の最先端技術や文化を持った渡来人集落には、難波に高津宮をかまえた第16代・仁徳天皇も足しげく通ったといいます。それではさっそく1600年の昔から続く日韓交流のまちを歩いてみましょう! ※コリアタウンまちあるきマップのダウンロードはこちら!

1p……「JR桃谷駅・桃谷商店街」「つるのはし跡」

1、JR桃谷駅・桃谷商店街

コリアタウンまちあるきのスタートはJR環状線「桃谷駅」からで、駅から東に向かって続くのが「桃谷商店街」です。下町風情あふれる商店街として地域住民に親しまれていますが、とくに創業50年以上を誇るイカ焼き発祥のお店「桃谷いかやき屋」は有名です。

この商店街の途中で、南北に交差する猫間川筋という道路があるのですが、これは猫間川という川を暗渠化したもので、猫間川は「高麗川」(こまがわ)が訛ったものという説があります。太古の昔には、高麗の人たちがやってきて、この川筋に集落を作ったのかも知れません。

2、つるのはし跡

日本最古の橋「つるのはし」跡です。西暦5世紀に仁徳天皇が架けた「小橋」がルーツといわれていますが、小橋の建築には猪飼野の渡来人の優れた技術力が大いに発揮されたことでしょう。
桃谷商店街を抜けて、さらに東に進むと、たどり着くのが「つるのはし跡」です。日本書紀の仁徳天皇14年の条に「猪甘津に橋わたす。すなわちその処を号けて小橋という」(為橋於猪甘津即号其処曰小橋也)と記されていますが、実はこれが文献上に出てくる「日本最古の橋」です。昔はこの付近は湿地帯で、ツルがよく飛来したので、いつしか「つるのはし」と呼ばれました。

江戸時代の猪飼野村明細帳には「全長20間(36.4メートル)幅7尺5寸(2.3メートル)の板橋」という記録が残っていますが、昭和15年(1940)に川が埋め立てられて廃橋となりました。「しのぶれど 人はそれぞと 御津の浦に 渡り初めにし ゐかい津の橋」という小野小町の歌が残っています。
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